国枝史郎「大捕物仙人壺」(01) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(1)



 女軽業の大一座が、高島の城下へ小屋掛けをした。
 慶応末年の夏の初であった。
 別荘の門をフラリと出ると、伊太郎《いたろう》は其方《そっち》へ足を向けた。
「いらはいいらはい! 始まり始まり!」と、木戸番の爺《おやじ》が招いていた。
「面白そうだな。入って見よう」
 それで伊太郎は木戸を潜った。
 今、舞台では一人の娘が、派手やかな友禅の振袖姿で、一本の綱を渡っていた。手に日傘をかざしていた。
「浮雲《あぶな》い浮雲い」と冷々しながら、伊太郎は娘を見守った。
「綺麗な太夫《たゆう》じゃありませんか」
「それに莫迦に上品ですね」
「あれはね、座頭の娘なんですよ。ええと紫錦《しきん》とか云いましたっけ」
 これは見物の噂であった。
 小屋を出ると伊太郎は、自分の家へ帰って来た。いつも物憂そうな彼ではあったがこの日は別《わ》けても物憂そうであった。
 翌日復《また》も家を出ると、女軽業の小屋を潜った。そうして紫錦の綱渡りとなると彼は夢中で見守った。
 こういうことが五日続くと、楽屋の方でも目を付けた。
「オイ、紫錦さん、お芽出度《めでと》う」源太夫は皮肉に冷かした。「エヘ、お前魅《みい》られたぜ」
「ヘン、有難い仕合せさ」紫錦の方でも負けてはいない。「だがチョイと好男子《いいおとこ》だね」
「求型《もとめがた》という所さ」
「一体どこの人だろう?」
「お前そいつを知らねえのか。――伊丹屋《いたみや》の若旦那だよ」
「え、伊丹屋? じゃ日本橋の?」
「ああそうだよ、酒問屋《さかどんや》の」
「だって源ちゃん変じゃないか、ここはお前江戸じゃないよ」
「信州諏訪でございます」
「それだのにお前伊丹屋の……」
「ハイ、別荘がございます」
「おやおやお前さん、よく知ってるね」
「ちょっと心配になったから、実はそれとなく探ったやつさ」
「おや相変らずの甚助《じんすけ》かえ」紫錦ははすっぱに笑ったが「苦労性だね、お前さんは」
「何を云いやがるんでえ、箆棒《べらぼう》め、誰のための苦労だと思う」
「アラアラお前さん怒ったの」
 面白そうに笑い出した。
「おい紫錦、気を付けろよ、いつも道化じゃいねえからな」
「紋切型さね、珍らしくもない」
 紫錦はすっかり嘗めていた。
 ところでその晩のことであるが、桔梗屋《ききょうや》という土地の茶屋から、紫錦へお座敷がかかって来た。
「きっとあの人に相違《ちがい》ないよ」こう思いながら行って見ると、果して座敷に伊太郎がいた。
 さすがに大家の若旦那だけに、万事鷹様《おうよう》に出来ていた。
 酒を飲んで、世間話をして――いやらしいことなどは一言も云わず、初夜前に別れたのである。
 ホロ酔い機嫌で茶屋を出ると、ぱったり源太夫と邂逅《でっくわ》した。待ち伏せをしていたらしい。
「源ちゃんじゃないか、どうしたのさ」
「うん」と彼イライラしそうに「彼奴《あいつ》だったろう? え、客は?」
「言葉が悪いね、気をお付けよ。彼奴だろうは酷《ひど》かろう」紫錦は爪楊枝《つまようじ》を噛みしめた。
「いつお前お姫様になったえ」源太夫も皮肉に出た。
「たった今さ。悪いかえ」
「小屋者からお姫様か」
「そういきたいね、心掛けだけは」
 小屋の方へ二人は歩いて行った。
 源太夫というのは通名《とおりな》で、彼の実名は熊五郎であった。親方には実の甥で、紫錦とは従兄弟にあたっていた。
 その翌晩のことであるが、また同じ桔梗屋から紫錦にお座敷がかかって来た。
「行っちゃ不可《いけ》ねえ、断っちめえ」
 熊五郎は止めにかかった。
「いい加減におしよ、芸人じゃないか」
 紫錦は衣裳を着換えると、念入りにお化粧をし、熊五郎に構《かま》わず出かけて行った。
 気を悪くしたのは熊五郎であった。
「へん、どうするか見やアがれ」
 恐ろしい見幕《けんまく》で怒鳴《どな》り声をあげた。



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