国枝史郎「大捕物仙人壺」(05) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(5)



 湖水は猛烈に荒れていた。火事は益々燃え拡がった。物凄くもあれば美しくもあった。
 紫錦は小舟に取り付いたまま浪の荒れるに委せていた。火事の光が水に映り四辺《あたり》が茫《ぼっ》と明るかった。
 その時何物か浪を分けて彼女の方へ来るものがあった。
「おや、馬だよ。馬が泳いで来る」
 いかにもそれは馬であった。
「おや。黒《あお》だよ、黒来い来い!」
 紫錦《しきん》は喜んで声を上げた。
 馬は馴染の黒であった。つまり彼女が芸当をする時、時々乗った馬であった。近付くままによく見ると誰やら馬の背にくくり[#「くくり」に傍点]付けられていた。それが恋人の伊太郎であると火事の光りで見て取った時の彼女の驚きと云うものはちょっと形容に苦しむ程であった。その伊太郎は気絶していた。そうして手足から血を流していた。
 彼女は軽業の太夫《たゆう》であって馬扱いには慣れていた。で小舟を乗り捨てて馬と一緒に泳ぐことにした。荒れ狂う浪を掻き分け掻き分け馬と人とは泳ぎに泳いだ。精も根も尽き果て、もう溺れるより仕方がないと、こう彼女が思った時、眼前に石垣が現われた。伊太郎の家の石垣であった。
 伊太郎の家ではもう先刻《さっき》から、伊太郎の姿が見えないと云うので、母をはじめ家内の者は狂人のようになっていた。とそこへ現われたのが伊太郎を抱き抱えた紫錦の姿であった。
「伊太郎さんが!」
「若旦那が!」
 と、にわかに人々は活気付いた。張り詰めていた精神がこの時一時に弛んだと見えて、紫錦は気絶してグダグダと倒れた。それ[#「それ」に傍点]と云うので人々は二人を家の中へ舁ぎ入れた。間もなく医者が駈け付けて来て応急手当を施した。
 この頃町では火事と戦いとがなお烈しく行なわれていた。それが全然《すっかり》静まったのは夜も明け方に近い頃で、その結果はどうかと云うに、むしろ諏訪藩の負けであった。小屋者にも浪士達にも、大半逃げられてしまったのであった。
 伊太郎と紫錦が蘇生したのはそれから間もなくのことであった。二人は顔を見合わせてかつ驚きかつ喜んだ。紫錦は伊太郎の命の親であった。伊丹屋としても粗末に出来ない。それに彼女が属していた例の軽業の一行は、今は行衛《ゆくえ》不明であった。いわば彼女は宿なしであった。で伊丹屋では娘分として彼女を養うことにした。
 信濃の春は遅かったが秋の立つのは早かった。湖水の水が澄みかえり八ヶ嶽の裾野に女郎花《おみなえし》が咲いた。虫の鳴音が降るように聞こえた。この頃伊丹屋では諏訪を引き上げ江戸の本宅へ帰ることになった。
 さて、ところで、紫錦にとっては、江戸の本宅の生活は、かなり窮屈なものであった。ジプシイ型の彼女から見れば、まるで不自由そのものであった。ちょっと外出《でる》にも女中が付き、箸の上げ下げにも作法があった。
「簡単」ということが卑しまれ「面倒臭い」ということが尊ばれた。膝を崩すことも出来なければ寝そべることも出来なかった。あらゆるものに敬語を付け、呼び捨てにするのを失礼とした。「お箸《はし》」「お香の物」「お櫛《ぐし》」「お召物」――
 彼女は繁雑に耐えられなくなった。
 それに一緒に住んで見れば、柔弱の伊太郎も鼻に付いた。
「万事万端拵《こしら》え物のようで、活気というものがありゃアしない」彼女はこんなように思うのであった。
「お金持とか上流とか、そういった人達の生活《くらし》方が、みんながみんなこうだとすれば、ちっともうらやましいものではない」
 とはいえ以前の生活へ帰って行きたいとは思わなかった。それは「泥棒の生活」であり又「動物の生活」だからであった。
「何か妾にぴったりと合った有意味の暮らし方はないものかしら」
 彼女はそれを目付けるようになった。
 伊丹屋の主人伊右衛門が或日女房にこう云った「お錦《きん》、近来《ちかごろ》変わってきたね。なんだかおちつかなくなったじゃないか」
「そう云えば本当にそうですね」女房のお琴《こと》も眉を顰《しか》め「いったいどうしたって云うんでしょう」
「それにお錦は左の腕を、いつも繃帯しているが、どうも私は気になってならない」
「ほんとにあれ[#「あれ」に傍点]は変ですね」
「お前からそれとなく訊いて見るがいい」
 ――それで、或日それとなくお琴はお錦へ訊《たず》ねて見た。
「お前傷でもしたんじゃないの?」
「いいえ、そうじゃございません」お錦はそっと着物の上から左の二の腕を抑えたが、
「痣があるのでございますの」
「まあ、そうかえ、痣がねえ」
 お琴は意外な顔をした。



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