国枝史郎「大捕物仙人壺」(07) (おおとりものせんにんつぼ)

国枝史郎「大捕物仙人壺」(7)



 二三日経った或日のこと、浅草観音の堂の側《わき》に、目新しい芸人が現われた。莚を敷いたその上で大きな鼬を躍らせるのであったが、それがいかにも上手なので、参詣の人の注意をひいた。
 芸人の年輩は不明であったが、四十歳から六十歳迄の間で、左の耳の根元の辺りに瘤のあるのが特色であった、陽にやけた皮膚筋張った手足、一癖あり気の鋭い眼つき、気味の悪い男であった。
「さあさあ太夫《たゆう》さん踊ったり踊ったり」
 手に持っていた竹の鞭で、窃《そっ》と鼬に障わりながら、錆のある美音で唄い出した。
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※[#歌記号、1-3-28]甲州出るときア涙が出たが
今じゃ甲州の風も厭
[#ここで字下げ終わり]
 春陽が明々と地を照らしその地上では鳩の群が餌をあさりながら啼いていた。吉野桜が散ってきた。堂の横手芸人の背後《うしろ》に巨大な公孫樹《いちょうのき》が立っていたが、まだ新芽は出ていなかった。鼬の大きさは四尺もあろうか、それが後足で立ち上り、前足をブラブラ宙に泳がせ、その茶色の体の毛を春陽《はるひ》にキラキラ輝かせながら、唄声に連れて踊る態は、可愛くもあれば物凄くもあった。
 投銭放銭がひとしきり[#「ひとしきり」に傍点]降り、やがて芸当が一段落となった。その時目立って美しい娘が供の女中を一人連れ仲見世の方からやって来たが、大道芸人の顔を見るとにわかに足を急がせた。その様子が変だったので、大道芸人は眼をそばめた。
「おや? 可笑《おか》しいぞ、彼奴《あいつ》そっくりだぞ?」
 こう口の中で呟いたかと思うと、彼の側《そば》に蹲居《しゃが》んでいた二十四五の若者へ、顎でしゃくって[#「しゃくって」に傍点]合図をした。
「オイ源公《げんこう》、今のを[#「のを」に傍点]見たか?」
「うん」と云うと若者は、その殺気立った燃えるような眼で、人混の中へ消え去ろうとする娘の姿を見送ったが、「異《ちげ》いねえよ、あの阿魔《あま》だよ」
「だが様子が変わり過ぎるな」
「ナーニ彼奴だ、彼奴に相違ねえ」
「そうさ、俺もそう思う」
「畜生、顔を反けやがった」
「オイ源公、後をつけて見な」
「云うにゃ及ぶだ。見遁せるものか」
 で、源公は人波を分け、娘の後を追って行った。
「さあさあ太夫《たゆう》さん一踊り、ご苦労ながら一踊り……※[#歌記号、1-3-28]男達《おとこだて》ならこの釜無《かまなし》の流れ来る水止めて見ろ……ヨイサッサ、ヨイサッサ」
 大道芸人が唄い出し、鼬が立っておどりだした。

「おおトン公《こう》か、よく来てくれた」
「爺《とっ》つあん」は嬉しそうにこう云うと、夜具の襟から顔を出した。「爺つあん」は酷く窶《やつ》れていた。ほとんど死にかかっているのであった。
 ここは金龍山瓦町《きんりうざんかわらまち》[#ルビの「きんりうざんかわらまち」はママ]の「爺つあん」の住居《すまい》の寝間であった。
「どうだね「爺つあん」? 少しはいいかね?」
 トン公は坐って覗き込んだ。
「有難えことには、可《よ》くねえよ」――「爺つあん」はこんな変なことを云った。
「おかしいじゃないか、え「爺つあん」? 可くもねえのに有難えなんて?」
 すると「爺つあん」は寂しく笑い、
「うんにゃ、そうでねえ、そうでねえよ。俺らのような悪党が、磔刑にもならず、獄門にもならず、畳の上で死ねるかと思うと、こんな有難えことはねえ」
「へえ、なるほど、そんなものかねえ」トン公はどうやら感心したらしい。「だがね、「爺つあん」俺らにはね、お前が悪党とは思われないんだよ」
「ナーニ俺は大悪党だよ」
「でも「爺つあん」は貧乏人だと見ると、よく恵んでやるじゃないか」
「ああ恵むとも、時々はな。つまりナンダ罪ほろぼしのためさ」
「でも一座の連中で、お前のことを悪く云う者は、それこそ一人だってありゃアしねえよ」
「それは俺らが座主だからだろう」
「ああそれもあるけれどね……」
「うっかり俺の悪口でも云って、そいつを俺に聞かれたが最後、首を切られると思うからさ」
「ああそいつ[#「そいつ」に傍点]もあるけれどね……」
「それより他に何があるものか」
「金を貸すからいい親方だと、こうみんな云っているよ」
「アッハハハ、そうだろう。その辺りがオチというものだ。ところでそういう人間のことだ、俺が金を貸さなくなったら、今度は悪口を云うだろうよ」
「ああそりゃあ云うだろうよ」トン公は直ぐに妥協した。それが「爺つあん」には可笑しかったか面白そうに笑ったが、
「トン公、お前は正直者だな。だから俺はお前が好きだ」
「ううん、何だか解《わか》るものか」それでもトン公は嬉しそうに笑った。
「うんにゃ、俺はお前が好きだ。その剽軽な巾着頭《きんちゃくあたま》、そいつを見ていると好い気持になる」
「何だ俺らを嬲るのけえ」トン公は厭な顔をした。
「怒っちゃいけねえいけねえ。本当のことだ、なんの嬲るものか。それはそうと、なあトン公、お前は随分苦労したらしいな」



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