国枝史郎「北斎と幽霊」(05) (ほくさいとゆうれい)

国枝史郎「北斎と幽霊」(05)

        五

 その日以来門を閉じ、一切来客を謝絶して北斎は仕事に取りかかった。弟子はもちろん家人といえども画室へ入ることを許さなかった。
 彼の意気込みは物凄く、態度は全然狂人《きちがい》のようであった。……こうして実に二十日間というもの画面の前へ坐り詰めていた。何をいったい描いているであろう? それは誰にも解らなかった。とにかく彼はその絵を描くに臨本《りんぽん》というものを用いなかった。今日のいわゆるモデルなるものを用いようとはしなかった。彼はそれを想像によって――あるいはむしろ追憶によって、描いているように思われた。
 こうして彼は二十日目にとうとうその絵を描き上げた。
 彼は深い溜息をした。そうしてじっと[#「じっと」に傍点]画面を見た。彼の顔には疲労があった。疲労《つか》れたその顔を歪めながら会心の笑《えみ》を洩らした時には、かえって寂しく悲しげに見えた。
 クルクルと絵絹を巻き納めると用意して置いた白木の箱へ、静かに入れて封をした。
 どうやら安心したらしい。
 翌日阿部家から使者が来た。
「このまま殿様へお上げくだされ」
 北斎は云い云い白木の箱を使者の前へ差し出した。
「かしこまりました」
 と一礼して、使者はすぐに引き返して行った。
 ここで物語は阿部家へ移る。
 阿部家の夜は更けていた。
 豊後守は居間にいた。たった今柳営のお勤め先から自宅へ帰ったところであってまだ装束を脱ぎもしない。
「北斎の絵が描けて参ったと? それは大変速かったの」
 豊後守は満足そうに、こう云いながら手を延ばし、使者に立った侍臣金弥から、白木の箱を受け取った。
「どれ早速一見しようか。それにしても剛情をもって世に響いた北斎が、よくこう手早く描いてくれたものじゃ。使者の口上がよかったからであろうよ。ハハハハハ」
 とご機嫌がよい。
 まず箱の紐を解いた。つづいて封じ目を指で切った。それからポンと葢《ふた》をあけた。絵絹が巻かれてはいっている。
「金弥、燈火《あかり》を掻き立てい。……さて何を描いてくれたかな」
 呟きながら絵絹を取り出し膝の前へそっと置いた。
「金弥、抑えい」
 と命じて置いて、スルスルと絵絹を延べて来たが、延べ終えてじっと[#「じっと」に傍点]眼を付けた。
「これは何んだ?」
「あっ。幽霊!」
 豊後守と金弥の声とがこう同時に筒抜けた。
「おのれ融川!」
 と次の瞬間に、豊後守の叫び立てる声が、深夜の屋敷を驚かせたが、つづいて「むう」という唸《うな》り声、……どん[#「どん」に傍点]と物の仆れる音。……豊後守は気絶したらしい。

 幽霊といえば応挙を想い、応挙といえば幽霊を想う。それほど応挙の幽霊は有名なものになっているが、しかし北斎が思うところあって豊後守へ描いて送った「駕籠幽霊」という妖怪画はかなり有名なものである。
 白皚々《はくがいがい》たる雪の夕暮れ。一丁の駕籠が捨てられてある。駕籠の中には老人がいる。露出した腸《はらわた》。飛び散っている血汐。怨みに燃えている老人の眼! それは人間の幽霊でありまた幽霊の人間である。そうしてそれは狩野融川である。

「そうです私は商売道具で、つまり絵の具と筆と紙とで、師匠の仇を討とうとしました。豊後守様が剛愎でも、あの絵を一眼ごらんになったら気を失うに相違ないと、こう思ってあの絵を描いたのでした。
 私の考えはあたりました。思惑《おもわく》以上に当たりました。あれから間もなく豊後守様はお役をお退きになられたのですからね。
 私は溜飲を下げましたよ。そうして私は自分の腕を益※[#二の字点、1-2-22]信じるようになりましたよ。しかし私は二度と再び幽霊の絵は描きますまい。何故《なぜ》とおっしゃるのでございますか? 理由《わけ》はまことに簡単です、たとえこの後描いたところで到底あのような力強い絵は二度と出来ないと思うからです」
 これは後年ある人に向かって北斎の洩らした述懐である。





[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送