国枝史郎「二人町奴」(04) (ふたりまちやっこ)

国枝史郎「二人町奴」(04)



 ある日と云ってもずっと後だ――寛文年間のことである。
「兄貴おいでか」と云いながら、訪ねて来たのは釣鐘弥左衛門。
「これは釣鐘、珍らしいの」
 こう言ったのは緋鯉の藤兵衛、長火鉢の前に坐っている。
 向かいあって坐った釣鐘弥左衛門、今日は一向元気がない。
 そういえば緋鯉の藤兵衛にも、さっぱり元気がないのである。二人、しばらく物も云わない。
「近頃浮世が面白くないよ」
 やがて云ったのは弥左衛門である。
「うん、そうだろうな俺もそうだ」
 緋鯉の藤兵衛もものうそうである。
「長兵衛親分がああなって以来、俺ア眼の前が真っ暗になった」
「相手の水野一統は、ピンシャンあの通り生きていて、なんのお咎めもないんだからなあ」
 これが弥左衛門には心外らしい。
「それにさ唐犬《とうけん》の兄貴達が、水野を討とうと切り込んで、手筈狂って遣り損なってからは、いよいよお上の遣り口が、片手落偏頗《へんぱ》に見えてならねえ」
 これにも弥左衛門は不平らしい。
「うん、そいつだよ、偏頗だなあ」
 緋鯉の藤兵衛も不平らしく、
「爾来お上では俺達を、眼の敵にして抑えるんだからなあ」
「兄弟分の大半は、遠島の仕置にされてしまった」
「町奴の勢力も地に落ちたよ」
「そいつも水野をはじめとし白柄組の連中のお蔭だ」
「その連中がよ、どうかというに、近来益々のさばり[#「のさばり」に傍点]居る」
「夜ふけて通るは何者ぞ、加賀爪甲斐《かがづめかい》か泥棒か、さては坂部の三十か……江戸の人達は唄にまで作り、恐れおびえているのになあ」
「お上の片手落ちも甚しいものさ」
 緋鯉の兄貴と、釣鐘弥左衛門、にわかに調子を強めたが、
「それにしても俺たちには不思議でならねえ、唐犬の兄貴一統が水野の屋敷へ切り込んだ時、俺らは旅へ出ていたから、加わることも出来なかったが、兄貴はその時江戸にいたはずだ、それだのに一味に加わらずに、一人仲間から外れたのは、一体どういう訳だろうね? 他ならぬ兄貴のことだから、卑怯の結果とは思われねえが、俺らには訳がわからねえ」
 本心を聞きたいというようにグッと弥左衛門眼を据えた。
「うむ、それか」と云ったものの藤兵衛はしばらくは物を云わない。
「やり損なうに相違ないと、俺らハッキリ睨んだからさ」
 それから少し間を置いたが、
「相手がああいう相手だけに、一度で片づくと思っては早すぎる。一番手が失敗した場合、二番手の備えをしておかないとの」
「なるほど」と釣鐘弥左衛門、こいつを聞くと頷いた。
「それじゃア兄貴は二番手をもって任じ、長兵衛どんや唐犬の兄貴の、敵を討とうとするのだね?」
「とにかく憎いは旗本奴、わけても水野十郎左衛門、白柄組の一党だよ。この儘のさばら[#「のさばら」に傍点]せちゃア置かれねえ」
「ところで兄貴、その手段は?」
「ここにあるよ」と胸を打った。
「胸三寸、誰にも言わねえ」
「俺らにも明かせてくれねえのか」
 気色ばむ弥左衛門を慰めるように、
「俺一人で出来る仕事なのさ、無駄なたくさんな殺生は俺らにとっちゃア好ましくない。だがな」と藤兵衛しんみり[#「しんみり」に傍点]となった、「もしも[#「もしも」に傍点]のことが俺にあったら、それ、お前とは縁の深い、あの浅草の鐘でもついて、回向というやつをやってくれ。そうしてなんだ俺が死んだら、いよいよ町奴は衰微するだろう、そこでお前だけは生きながらえて、町奴の意気をあげてくれ、こいつが何より肝心だ、それはそうと、しめっぽく[#「しめっぽく」に傍点]なった。さあさあこれから一杯飲もう」






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