国枝史郎「銀三十枚」(07) (ぎんさんじゅうまい)
国枝史郎「銀三十枚」(07)
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「是非お書きなさい、お進めします」
旅行家でもあり蒐集家でもある、佐伯準一郎氏はこう云った。
「ついては貨幣をお貸ししましょう。その紋章を調べるだけでも、趣味があるじゃアありませんか。一枚と云わず三十枚、みんな持っておいでなさい。実は私は明日か明後日、またちょっと旅行に出かけますので、当分それは不用なのです。紛失《なく》されてはいささか困りますが、紛失なるような物ではなし、お貸しするとは云うものの、その実保管が願いたいので、ナーニご遠慮にゃア及びません。……それはそうと随分重い、とても持っては帰れますまい。ひとつ貸自動車《タクシ》を呼びましょう」
事実私はその貨幣にも、貨幣の紋章にも興味があった。そうして物語に綴るとしても、何かそういう貨幣のような、物的参考があるということは、確実性を現わす上に、非常に便利に思われた。
私は遠慮なく借りることにした。
その中タクシがやって来た。
佐伯氏は貨幣を革財布へ入れ、そうしてタクシへ運び込んでくれた。
「いずれ旅行から帰りましたら、お手紙を上げることにいたしましょう。いや私がお訪ねしましょう。文士の家庭を見るということも、ちょっと私には興味があるので、しかしこんなことを申し上げては、はなはだ失礼かもしれませんな」
佐伯氏は玄関でこんなことを云った。タクシがやがて動き出した。
「左様なら」と私は帽子を取った。
「左様なら」と佐伯氏は微笑した。
だが私にはその微笑[#「微笑」は底本では「微少」]が、ひどく気味悪く思われた。
名古屋の夜景は美しかった。鶴舞公園動物園の横を、私のタクシは駛《はし》って行った。
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