国枝史郎「銀三十枚」(11) (ぎんさんじゅうまい)

国枝史郎「銀三十枚」(11)

11

 私の話を聞いてしまうと、妻は一層不安そうにした。
「それでお借りしていらっしゃったのね。まあ本当に仕方のない方!」
 バタバタと階下《した》へ下りて行った。
 箪笥《たんす》を引き出す音がした。
 彼女は書斎へ帰って来た。
「さあ比べてご覧なさい」
 彼女は指環を投げ出した。
「ね、白金《プラチナ》じゃアありませんか」
 指環は白金に相違なかった。それが白金であるがために、彼女はそれを虎の子のように、奥深く秘蔵していたものである。私は二つを比べてみた。銀三十枚と指環とを。
 私は変に寒気立った。二つは全く同じであった。
「おい、こいつア同《おんな》じだ」
「贋金でなくて白金よ」
「この大きさでこの重さ……」
「数にして三十枚よ。さあお金《あし》に意《つも》もったら[#「意《つも》もったら」はママ]? ああ妾にゃア見当がつかない」
「おい、自動車を呼んで来い!」

 一人で行くのは怖かった。と云うよりも妻の方で、うっそり[#「うっそり」に傍点]者のこの私を、一人でやるのが不安だったらしい。
 で、自動車へは二人で乗った。
 私の両手と彼女の両手とが、革財布を抑えていた。
 考え込まざるを得なかった。
「これは何かの間違いなのだ。でなかったら陰謀だ。どうぞ陰謀でないように。俺は問題にならないとしても、聡明らしい佐伯氏が、贋金と白金とを見分けぬはずはない。知っていて俺に借したのだ。しかしあんな猪牙がかりに、借せるような物じゃアないはずだが。金銭《かね》に直して幾万円? 箆棒めえ借せられるものか! だが借したのは事実なのだ。……曰くがなけりゃアならないぞ……」
 私達のタクシは駛《はし》っていた。彼女は物を云わなかった。夜は十二時を過ごしていた。何という町の冬霧だ。とうとうタクシは公園へ来た。その公園を突っ切った。××町まで遣って来た。こんな飛んでもない贋金は、早く早く返さなければならない!
「停《と》めろ!」と私は呶鳴るように云った。
 徐行し、そうして停車した。
「どのお家! 佐伯さんのお家は?」
 妻が私に呟いた。私は窓から覗いて見た。
「ご覧」と私は唾を飲んだ。
「赤い警察の提燈《ちょうちん》が、チラツイているあの屋敷だ」
 妻も唾を飲んだらしい。運転手が扉《ドア》を開けようとした。
「待て」と私は嗄声《かれごえ》で制した。窓のカーテンを掻い遣った。妻の鬢の毛が頬に触れた。
 佐伯家の厳めしい表門が、一杯に左右に押し開けられていた。赤筋の入った提燈が、二つ三つ走り廻っていた。遠巻きにした見物が、静まり返って眺めていた。門の家根《やね》から空の方へ、松の木がニョッキリ突き出していた。遥かの町の四つ角を、終電車が通って行った。
 刺すような静寂が漲っていた。
「おい、運転手君、引っ返しておくれ」
 ――で、タクシは引っ返した。
 彼女は何とも云わなかった。彼女の肩が腕の辺りで、生暖かく震えていた。
 何か捨白《すてぜりふ》が言いたくなった。
「捕り物の静けさっていうやつさね。旅行しますと云ったっけ。ははあ刑務所のことだったのか。佐伯君、警句だぞ」
 勿論腹の中で云ったのであった。



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