国枝史郎「銀三十枚」(16) (ぎんさんじゅうまい)

国枝史郎「銀三十枚」(16)

16

 刑事はちょっと考えた。
「ふふん、こいつ狂人《きちがい》だな。……死にたければ勝手に死ぬがいい。だがここは俺の管轄だ。……他へ行ってぶら[#「ぶら」に傍点]下るがいい」
「妻君は自動車へ乗ってったよ。たった今だ。紳士とな」
「これは可笑《おか》しい」と刑事は云った。
「それじゃアあの[#「あの」に傍点]女を知ってるのか。俺の狙《つ》けてる淫売だが」
「あれが僕の妻君さ」
 私は何かに駈り立てられた。畜生! こいつを吃驚《びっくり》させてやれ!
「君、あいつは詐欺師なんだ。あいつは白金《プラチナ》を詐欺したんだ。……勿論君も知ってるだろう、大詐欺師の佐伯準一郎ね、ありゃアあいつの片割れなんだ」
 刑事はじっ[#「じっ」に傍点]と聞き澄ましていた。
「捕縛したまえ。手柄になるぜ」
 刑事は急に緊張した。だがすぐに揶揄的になった。
「君のような狂人の妻君に、あんな別嬪がなるものか。まあまあいいから帰りたまえ」
 たくましい手をグイと延ばし、私の腕をひっ[#「ひっ」に傍点]掴んだ。
「お前、金は持ってるのか?」
「うん」と私は頷いて見せた。
「いくら[#「いくら」に傍点]あるね、云って見給え」
「袂《たもと》にあるんだ、蟇口がな。いくらあるか知るものか」
 刑事は腕から手を放した。
「調べてやろう、出したまえ」
 私は袂から蟇口を出した。
「それ五円だ。それ赤銭だ。それ十銭だ。それ五円だ。まだあるぜ、それ十円だ」
「よしよし」と刑事は頷いた。
「それだけありゃア結構じゃアないか。歩いた歩いた送ってやろう。どうも手数のかかる奴だ」
 また腕をひっ[#「ひっ」に傍点]掴んだ。町の方へ引っ張って行った。私は変に愉快になった。で、のべつ[#「のべつ」に傍点]にまくし立てた。
「莫迦だなあ刑事君、あの女は詐欺師なんだ。白金三十枚を隠しているんだ、一枚や二枚は使ったろう。とても大きな白金なんだ。五十匁《もんめ》ぐらいはあるだろう。たった一枚で三千円だ。それがみんな[#「みんな」に傍点]で三十枚あるんだ。佐伯の物だ、大詐欺師のな。最初に俺が借りたんだ。そいつをあいつが取っちゃったんだ。あっ痛え! そう引っ張るな! 嘘じゃアねえ、本当のことだ。大馬鹿野郎め、ふん掴まえてしまえ! 引っかかったんだよ、ペテンにな。捕縛されるのが解《わか》ってたんだ。俺は文士だ、小説書きだ。そこをきゃつが狙ったんだ。でたらめの話をしやがって、俺の好奇心をそそりゃアがって、そいつを俺に預けやがったんだ。古いペテンだ、古いとも。牢から出ると取りに来るやつよ。いい隠し所を目つけたって訳さ。本当の事だ、信用しろ。家捜ししなよ、俺の家を、きっとどこかにあるだろう。……そこは女のあさましさだ。眼がクラクラと眩んだんだ。うん、白金を手に入れるとな。すっかり変わってしまやアがった。……」
 刑事はニヤニヤ笑っていた。公園を出ると町であった。右角に貸自動車《タクシ》の待合があった。
「おい、自動車《タクシ》」と刑事は呼んだ。
「へい」と運転手が走って来た。
「この男を載っけてくれ」
 すぐ自動車が引き出された。私はその中へ押し込まれた。
「金は持ってる、大丈夫だ。中村へでも送り込んでやれ。遊廓で一晩遊ばせてやれ」
 こう云うと刑事は愉快そうに笑った。ひどく人のいい笑い方であった。
 ゴーッと自動車は動き出した。

 彼女は彼女の生活をした。私は私の生活をした。家庭生活は破壊された。だが一緒には住んでいた。彼女はますます美しくなった。近付きがたいまでに美しくなった。そうして素晴らしく高貴になった。
「貴女様は一体何人《どなた》様で?」
 こう云いたいような女になった。
 行くべき所へ行き着いてしまった。私は放蕩に耽るようになった。酒だ! 女だ! 寝泊りだ!
 ある時ある所で三日泊まった。四日目の夕方帰って来た。
 と、貸家札が張られてあった。
「鳥は逃げた!」と私は云った。
「オフェリヤ殿、オフェリヤ殿、尼寺へでもお行きやれ」
 シェイクスピアの白《せりふ》が浮かんできた。
「尼寺なものか、極楽だ! マリア・マグダレナは極楽へ飛んだ」
 私は大声で笑おうとした。が反対に胴顫いがした。
「だが、予定の行動を」
 私は踵を返そうとした。
「お神さんえ、どうぞ一文、よし、俺は乞食になろう!」
「もし」とその時呼ぶ声がした。
 側《そば》に小男が立っていた。
「へえへえ」と私は手を揉んだ。
「旦那様え、何かご用で?」
 乞食の稽古をやり出した。



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