国枝史郎「甲州鎮撫隊」(07) (こうしゅうちんぶたい)

国枝史郎「甲州鎮撫隊」(07)

   女夜叉の本性

(この男ならやりかねない)
 こう思ったお力は、嘉十郎の袂を掴んだ。
(剣技《わざ》にかけちゃア、新選組一だといわれている沖田さんだけれど、あの病気で衰弱している体で、嘉十郎に斬りかけられては敵《かな》う筈はない。……総司さんを討たれてなるものか!……いっそ妾が此奴《こいつ》を!)
 と、肚《はら》を決め、
「嘉十郎さん、まア待っておくれ、お前が然うまで云うなら妾も決心して、今夜沖田さんの息の音とめるよ。……お前さんにしてからが然うじゃアないか、あの晩、二人でここへ来てさ、通りかかった脱走武士たちへ喧嘩を売りつけ、一人を叩っ斬ったのを見て、妾は植甚の庭へ駆込み、喧嘩の側杖から避けたと云って、沖田さんに隠匿《かくま》われ、そいつを縁に沖田さんへ接近《ちかづ》いたのも、お前と最初からの相談ずく、そこ迄二人で仕組んで来たものを、今になってお前さんに沖田さんを殺され、功を奪われたんじゃア、妾にしては立瀬が無く、お前さんにしたって、後口が悪かろう。……ねえ、沖田さんを仕止めるの、妾に譲っておくれよ。そうして懸賞の金は山分けにしようじゃアないか」
 憎くない婦《おんな》からのこの仕向けであった。四十五歳の、分別のある嘉十郎ではあったが、
「そりゃアお前がその気なら……」
「委せておくれかえ。それじゃア妾は今夜沖田さんを、こんな塩梅《あんばい》に……」
 と、右の手を懐中《ふところ》へ入れ、いつも持っている匕首《あいくち》を抜き
「グッと一突きに!」
 と嘉十郎の脾腹《ひばら》へ突込み……
「わッ」
「殺すのさ!」
 と、嘉十郎を蹴仆《けたお》し、地面をノタウツのを足で抑え、止《とど》めを刺し、
「厭だよ、血だらけになったよ。これじゃア総司さんの側へ行けやアしない」
 と呟いたが、庭へ駆込むと、池の端へ行き、手足を洗出した。途端に滝の中から腕が現われ、グッとお力の腕を掴み、
「矢張りお前も然うだったのか。お力坊、眼が高いなア」
 と、水を分けて、留吉が、姿を現わした。
「只者じゃアねえと思ったが、矢っ張り滝壺の中の小判を狙っていたのかい。俺も然うさ。植甚へ住込んだのも、植甚は大金持、そればかりでなく、徳川様のお歴々にご贔屓《ひいき》を受け、松本良順なんていう御殿医にまで、お引立てを受けていて、然ういう人達の金を預って隠しているという噂《うわさ》、ようしきた、そいつを盗み出してやろうとの目算からだったが、植甚の爺《おやじ》、うまい所へ隠したものよ、滝のかかっている岩組の背後《うしろ》を洞《ほこら》にこしらえ、そこへ隠して置くんだからなア。これじゃア脱走武士が徴発に来ようと、薩長の奴等が江戸へ征込《せめこ》んで来て、焼打ちにかけようと安全だ。……と思っている植甚の鼻をあかせ、俺アこれ迄にちょいちょい此処へ潜込んで、今日までに千両近い小判を揚げたからにゃア、俺の方が上手だろう――と思っているとお前が現われた。偉《えれ》え! 眼が高《たけ》え! 小判の隠場ア此処と眼をつけたんだからなア。…よし来た、そうなりゃアお互い相棒《あいづれ》で行こう。……が相棒になるからにゃア……」
 お力は、(然うだったのかい。滝の背後に金が隠してあるのかい、妾が、体の血粘《ちのり》洗おうと来たのを、そんなように独合点しやがったのかい。……然うと聞いちゃ、まんざら慾の無い妾じゃアなし……ようし、その意《つもり》で。……)
 例の匕首でグッと!
「ウ、ウ、ウ――」
 動かなくなった留吉の体を、池の中へ転がし込んだが、
(人二人殺したからにゃア、いくら何んでも此処にはいられない。行きがけの駄賃に、……云うことを諾《き》かない総司さんを……そうして、矢っ張り懸賞の金にありつこうよ)と、
 離座敷の方へ小走って行き、雨戸を窃《そ》っと開け、座敷へ這入った。総司は、やや健康を恢復《かいふく》し、艶《つや》も出た美貌を行燈に照らし、子供のように無邪気に眠っていた。
 お力は、行燈の灯を吹消した。






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