国枝史郎「加利福尼亜の宝島」(15) (かりふぉるにあ)


国枝史郎「加利福尼亜の宝島(カリフォルニアのたからじま)」(15)


        十五

 昔々遙かの昔に、墨西哥《メキシコ》の国ガイマスの地にガイマス王という国王があった。その王子を壺皇子《つぼみこ》と云ったが、早く母上と死に別れ、継母《ままはは》の手で育てられた。多くの継母がそうであるようにこの継母も継子を憎みどうぞして壺皇子を殺そうとした。
 壺皇子八歳の時であったが、天変地妖相継いで国内飢餓に襲われた。その時継母は国王に云った。
「神のお怒りでござります。神様が何かを怒らせられ飢餓を下されたのでござります。大事な宝を犠牲《にえ》として、お怒りを和《なだ》めずばなりますまい」
「犠牲《にえ》には何を捧げような?」
「一番大切な宝物を」「一番大切な宝物とは?」「壺皇子をお捧げなさりませ」
「なるほど俺《わし》の身にとって皇子より大事なものはない。皇子を捧げずばなるまいかな」
「皇子を犠牲となされずば神の怒りは解けますまい」
「人民のため国家のため、それでは壺皇子を捧げる事にしよう」
 王は悲しくは思いながらも継母の甘言に心迷い壺皇子を犠牲にすることにした。
 祭壇が築かれ薪木《たきぎ》が積まれ犠牲を焚く日がやって来た。八歳の壺皇子がそれとは知らず嬉々として祭壇へ上った時火が薪木へ掛けられた。しかし神は非礼を受けず忽ち奇蹟を現わされた。忽然巨大な一振りの剣《つるぎ》が雲の中から現われ出たが、まず継母の首を斬り、次いで壺皇子を束《つか》へ乗せ、どことも知れず翔《か》け去ったのである。
 剣は皇子を乗せたままチブロン島まで翔けて来たが、そこで一旦地上へ下り、さらに虚空を斜めに飛び窟《いわや》の中へ飛び込んだ。
 この神秘境へ来たのである。
 活ける剣は窟の中で壺皇子を人知れず養育した。皇子の寂寥を慰めるために人界から人間を連れて来た。その人間は次第に殖え、ここに部落を形成《かたちづく》った。
 そこで壺皇子はその部落の帝王として君臨した。
 部落は平和に富み栄え、壺皇子は数百年活き延びたが、天寿終って崩御《ほうぎょ》するや、人民達はその死骸《なきがら》を林の中へ埋葬し神に祀って壺神様と云った。御神体は活ける剣である。
 その後部落は一盛一衰、幾多変遷はあったものの、今に及んで絶えることなく、不思議な国家として存在した。――以上は島の土人によって、今も語られる伝説なのである。
 それはそれとして、部落の中から、日本の歌の聞こえるのは何んと解釈したものであろう?
「何んという不思議なことだろう?」
 小豆島紋太夫は佇《たたず》んでしばらく歌声に耳を澄ました。
「歌の主を探し当てよう。それが何よりの急務である」
 ――で、紋太夫は足を早め、声のする方へ辿《たど》って行った。
 行くに従って歌声は次第にハッキリ聞こえて来た。歌の文句も聞き取れた。
「あれは万葉の古歌ではないか。これはどうでも歌の主は日本の人間に相違ない」
 こう考えて来て紋太夫は怪しく心の躍るを覚えた。彼はとうとう駈け出した。
 林の中へはいった時、石に腰かけた土人老婆が、無心に歌をうたっているのを、微光《うすびかり》の中に見て取った。
「や、日本の人間ではない!」
 紋太夫は叫んだものである。と、老婆は歌を止め、紋太夫をつくづく眺めたが、流暢《りゅうちょう》な日本語で話しかけた。
「おおあなたは日本人ですね」
「さよう、私は日本人」
「助けてください助けてください!」
 老婆は大地にひざまずき、日本流に合掌した。
「助けてやろうとも助けてやろうとも、しかし何を助けるのです」
「妾は聖典を盗まれました」
「何、聖典! 聖典とは?」
「それには諸※[#二の字点、1-2-22]《もろもろ》の尊い智恵が記されてあるのでございます」
「そうして誰が盗んだのだ?」
「旅籠屋《はたごや》の主人でござります」
「その旅籠屋はどこにある!」
「林の奥でござります」
「では俺が取り返してやろう」
「どうぞお願い致します。どうぞお願い致します」
「それにしても不思議だな。どうして日本語を知っておるな?」
「それには訳がございます。いずれお話し致します。聖典をお取り返しくださいませ」
「心配するな。取り返してやる」
 紋太夫は林を分け奥へ奥へと進んで行った。
「重ね重ね不思議なことだ。いろいろの事件にぶつかる[#「ぶつかる」に傍点]わい」
 行っても行っても深い林は容易に尽きようとはしなかった。



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