国枝史郎「戯作者」(01) (げさくしゃ)

国枝史郎「戯作者」(01)

初対面

「あの、お客様でございますよ」
 女房のお菊《きく》が知らせて来た。
「へえ、何人《だれ》だね? 蔦屋《つたや》さんかえ?」
 京伝《きょうでん》はひょいと眼を上げた。陽あたりのいい二階の書斎で、冬のことで炬燵《こたつ》がかけてある。
「見たこともないお侍様で、滝沢《たきざわ》様とか仰有《おっしゃ》いましたよ。是非ともお眼にかかりたいんですって?」
「敵討ちじゃあるまいな。俺は殺される覚えはねえ。もっともこれ迄草双紙の上じゃ随分人も殺したが……」
「弟子入りしたいって云うんですよ」
「へえこの俺へ弟子入りかえ? 敵討ちよりなお悪いや」
「ではそう云って断わりましょうか?」
「と云う訳にも行かないだろう。かまうものか通しっちめえ」
 女房が引っ込むと引き違いに一人の武士が入って来た。大髻《おおたぶさ》に黒紋付、年恰好は二十五六、筋肉逞しく大兵肥満、威圧するような風采である。小兵で痩せぎすで蒼白くて商人まる出しの京伝にとっては、どうでも苦手でなければならない。
「手前滝沢清左衛門《せいざえもん》、不束者《ふつつかもの》にござりまするが何卒《なにとぞ》今後お見知り置かれ、別してご懇意にあずかりたく……」
「どうも不可《いけね》え、固くるしいね。私《あっし》にゃアどうにも太刀打ち出来ねえ。へいへいどうぞお心安くね。お尋ねにあずかりやした山東庵京伝、正に私でごぜえやす。とこうバラケンにゆきやしょう。アッハハハハどうでげすな?」
「これはこれはお手軽のご挨拶、かえって恐縮に存じます」
「どう致しまして、反対《あべこべ》だ、恐縮するのは私《わっち》の方で。……さて、お訪ねのご用の筋は? とこう一つゆきやしょうかな」
「は、その事でござりますが、手前戯作者志願でござって、ついては厚顔のお願いながら、ご門下の列に加わりたく……」
「へえ、そりゃア本当ですかい?」
「手前お上手は申しませぬ」
「それにしちゃア智慧がねえ……」
「え?」と武士は眼を見張る。
「何を、口が辷りやした。それにしても無分別ですね。見れば立派なお侍様、農工商の上に立つ仁だ。何を好んで幇間などに……」
「幇間?」と武士は不思議そうに、
「戯作者は幇間でござりましょうか?」
「人気商売でげすからな。幇間で悪くば先ず芸人。……」
 ツルリと京伝は頤《おとがい》を撫でる。自分で云ったその言葉がどうやら自分の気に入ったらしい。
「手前の考えは些《ちと》違います」
「ハイハイお説はいずれその中ゆっくり拝聴致すとして、第二に戯作というこの商売、岡眼で見たほど楽でげえせん」
「いやその点は覚悟の前で……」
「ところで、これ迄文のようなものを作ったことでもござんすかえ?」
「はっ」と云うと侍は、つと懐中へ手を入れたが、取り出したのは綴じた紙である。
「見るにも耐えぬ拙作ながら、ほんの小手調べに綴りましたもの、ご迷惑でもござりましょうがお隙の際に一二枚ご閲読下さらば光栄の至《いたり》。……」
「へえ、こいつア驚いた。いやどうも早手廻しで。ぜっぴ江戸ッ子はこうなくちゃならねえ。こいつア大きに気に入りやした。ははあ題して『壬生《みぶ》狂言』……ようごす、一つ拝見しやしょう。五六日経っておいでなせえ」
 で、武士は帰って行ったが、この武士こそ他ならぬ後年の曲亭馬琴であった。
「来て見れば左程でもなし富士の山。江戸で名高い山東庵京伝も思ったより薄っぺらな男ではあった」
 これが馬琴の眼にうつった山東京伝の印象であった。
「変に高慢でブッキラ棒で愛嬌のねえ侍じゃねえか。……第一体が大き過ぎらあ」
 京伝に映った馬琴の態度も決して感じのいいものではなかった。
 さも面倒だというように、馬琴の置いて行った原稿を、やおら京伝は取り上げたが、面白くもなさそうに読み出した。しかし十枚と読まない中に彼はすっかり魅せられた。そうして終《しま》い迄読んでしまうと深い溜息さえ吐いたものである。
「こいつアどうも驚いたな。いや実に甘《うま》いものだ。この力強い文章はどうだ。それに引証の該博さは。……この塩梅《あんばい》で進歩《すすむ》としたら五年三年の後が思い遣られる。まず一流という所だろう。……三十年五十年経った後には山東京伝という俺の名なんか口にする者さえなくなるだろう。……これこそ本当に天成《うまれながら》の戯作者とでもいうのであろう」
 こう考えて来て京伝はにわかに心が寂しくなり焦燥をさえ感じて来た。とはいえ嫉妬は感じなかった。むしろ馬琴を早く呼んで、褒め千切りたくてならないのであった。





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