国枝史郎「戯作者」(05) (げさくしゃ)

国枝史郎「戯作者」(05)

東海道中膝栗毛

「左様でござるかな、仰せに従い、では一風呂いただきましょうかな」
 馬琴は喜んで立ち上り、一九の案内で風呂場へ行ったが、やがて手早く式服を脱ぐと、まず手拭で肌を湿し、それから風呂へ身を沈めた。些か湯加減は温いようである。
「これは早速には出られそうもない。迂濶《うっか》り出ると風邪を引く。ちとこれは迷惑だわえ」
 心中少しく閉口しながら馬琴はじっと[#「じっと」に傍点]沈んでいたが、銭湯と異い振舞い風呂、いつ迄漬かっても居られない。で手拭で体を拭き、急いで衣装を着けようとした。どうしたものか衣類がない。式服一切下襦袢までどこへ行ったものか影も形もない。
 驚いた馬琴が手を拍つと、ノッソリ下男が頭を出したが、
「へえ、お客様、何かご用で?」
「私《わし》の衣類はどこへ遣ったな?」
「へえ、私《わたくし》知りましねえ」
「ご主人はどうなされた?」
「あわててどこかへ出て行きやした」
「何、出て行った? 客を捨てか?」
「珍しいことでごぜえません」
「寒くて耐らぬ。代わりの衣類は無いか」
「古布子《ふるぬのこ》ならござりますだ」
「古布子結構それを貸してくれ」
 下男の持って来た布子を着、結び慣れない三尺を結び、座敷の真中へぽつねん[#「ぽつねん」に傍点]と坐り、馬琴は暫らく待っていたが、一九は容易に帰宅しない。
 その中元旦の日が暮れて、燈火《ともしび》が家毎に燈《とも》るようになった。その時ようやく門口が開き、一九は姿を現わしたが、見れば馬琴の式服を臆面もなく纏っている。
「アッハハハハ」と先ず笑い、
「式服拝借致しやした。おかげをもって近所合壁年始廻りが出来やした。いや何式服というものは、友達一人持って居れば、それで萬端役立つもので、決して遠慮はいりやせん、借りて済ますが得策でげす」
 自分が物でも貸したように平然として云ったものである。
 呆れた馬琴が何とも云わず、程経て辞して帰ったのは、笑止千萬のことであった。
 一九の父は駿府の同心、一生不遇で世を終わったが、それが一九に遺伝したか、少年時代から悪賢く、人生を僻んで見るようになった。独創の才は無かったが、しかし一個の奇才として当代の文壇に雄飛したことは、又珍しいと云うことが出来よう。

 真夏が江戸へ訪れて来た。
 観世音《かんぜおん》四萬三千日、草市、盂蘭盆会《うらぼんえ》も瞬間《またたくま》に過ぎ土用の丑の日にも近くなった。毎日空はカラリと晴れ、市中はむらむらと蒸し暑い。
 軽い歯痛に悩まされ、珍しく一九は早起きをしたが、そのままフラリと家を出ると日本橋の方へ足を向けた。
 橋上に佇んで見下せば、河の面てには靄立ち罩《こ》め、纜《もや》った船も未だ醒めず、動くものと云えば無数の鴎が飛び翔け巡る姿ばかりである。
「ああすがすがしい景色ではある」
 いつか歯痛も納まって、一九の心は明るくなっていた。
「ゆくものは斯《かく》の如《ごと》し昼夜をわかたずと、支那の孔子様は云ったというが、全く水を見ていると心持が異《ちが》って来る。……今流れている橋の下の水は、品川の海へ注ぐのだが、その海の水は岸を洗い東海道をどこ迄も外国迄も続いている。おおマア何と素晴らしいんだろう」
 いつもに似ない真面目な心持で、こんな事を考えている中、ふと旅情に誘われた。
「夏の東海道を歩いたら、まあどんなにいいだろうなあ」
 彼はフラフラと歩き出した。足は品川へ向かって行く。
 四辺《あたり》を見れば旅人の群が、朝靄の中をチラホラと、自分と前後して歩いて行く。駕籠で飛ばせる人もあり、品川宿の辺りからは道中馬も立つと見えて、竹に雀はの馬子唄に合わせ、チャリンチャリンと鈴の音が松の並木に木精《こだま》を起こし、いよいよ旅情をそそるのであった。
 川崎、神奈川、程ヶ谷と過ぎ、戸塚の宿へ入った頃には、日もとっぷりと暮れたので、笹屋という旅籠《はたご》へ泊ったが、これぞ東海道五十三次を三月がかりで遊び歩いた長い旅行の第一日であり、一九の名をして不朽ならしめた、「東海道中膝栗毛《とうかいどうちゅうひざくりげ》」の、モデルとなるべき最初の日であった。





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