国枝史郎「仇討姉妹笠」(06) (かたきうちきょうだいがさ)
国枝史郎「仇討姉妹笠」(06)
不思議な老人
「おおそうか、蓋なのか」と、擦ったに連れて独楽の面が弛み、心棒を中心にして持ち上ったので、そう主税《ちから》は呟いてすぐにその蓋を抜いてみた。
独楽の中は空洞《うつろ》になっていて畳んだ紙が入れてあった。
何か書いてあるようである。
そこで、紙を延ばしてみた。
[#ここから3字下げ]
三十三、四十八、二十九、二十四、二十二、四十五、四十八、四、三十五
[#ここで字下げ終わり]
と書いてあった。
(何だつまらない)と主税は呟き、紙を丸めて捨ようとしたが、
(いや待てよ、隠語《かくしことば》かもしれない)
ふとこんなように思われたので、またその紙へ眼を落とし、書かれてある数字を口の中で読んだ。
それから指を折って数え出した。
かなり長い間うち案じた。
「そうか!」と声に出して呟いた時には、主税の顔は硬ばっていた。
(ふうん、やはりそうだったのか、……しかし一体何者なのであろう?)
思いあたることがあると見えて、主税はグッと眼を据えて、空の一所へ視線をやった。
と、その視線の遥かかなたの、木立の間から一点の火光《ひかり》が、薄赤い色に輝いて見えた。
その火はユラユラと揺れたようであったが、やがて宙にとどまって、もう揺れようとはしなかった。
(こんな夜更けに御用地などで、火を点《と》もすものがあろうとは?)
重ね重ね起こる変わった事件に、今では主税は当惑したが、しかし好奇心は失われないばかりか、かえって一層増して来た。
(何者であるか見届けてやろう)
新規に得た独楽を袖の中へ入れ、足を早めて火光の見える方へ、木立をくぐり藪を巡って進んだ。
火光から数間のこなたまで来た時、その火光が龕燈の光であり、その龕燈は藪を背にした、栗の木の枝にかけられてある。――ということが見てとられた。
だがその他には何があったか?
その火の光に朦朧と照らされ、袖無を着、伊賀袴を穿いた、白髪白髯の老人と、筒袖を着、伊賀袴を穿いた、十五六歳の美少年とが、草の上に坐っていた。
いやその他にも居るものがあった。
例の猿廻しと例の猿とが同じく草の上に坐っていた。
(汝《おのれ》!)と主税は心から怒った。
(汝、猿廻しめ、人もなげな! 遠く逃げ延びて隠れればこそ、このような手近い所にいて、火まで燈して平然としているとは! 見おれ[#「見おれ」は底本では「見をれ」]、こやつ、どうしてくれるか!)
突き進んで躍りかかろうとした。しかし足が言うことをきかなかった。
と云って足が麻痺したのではなく、眼の前にある光景が、変に異様であり妖しくもあり、厳かでさえあることによって、彼の心が妙に臆《おく》れ、進むことが出来なくなったのである。
(しばらく様子を見てやろう)
木の根元にうずくまり、息を詰めて窺った。
老人は何やら云っているようであった。
白い顎鬚が上下に動き、そのつど肩まで垂れている髪が、これは左右に揺れるのが見えた。
どうやら老人は猿廻しに向かって、熱心に話しているらしかった。
しかし距離が遠かったので、声は聞こえてこなかった。
主税はそれがもどかしかったので、地を這いながら先へ進み、腐ちた大木の倒れている陰へ、体を伏せて聞耳を立てた。
「……大丈夫じゃ、心配おしでない、猿めの打撲傷《うちみ》など直ぐにも癒る」
こういう老人の声が聞こえ、
「躄者《いざり》さえ立つことが出来るのじゃからのう。――もう打撲傷は癒っているかもしれない。……これこれ小猿よ立ってごらん」
言葉に連れて地に倒れていた猿が、毬のように飛び上り、宙で二三度翻筋斗《もんどり》を打ったが、やがて地に坐り手を膝へ置いた。
「ね、ごらん」と老人は云った。
「あの通りじゃ、すっかり癒った。……いや誠心《まごころ》で祈りさえしたら、一本の稲から無数の穂が出て、花を咲かせて実りさえするよ」
その時猿廻しは編笠を脱いで、恭しく辞儀《おじぎ》をした。
その猿廻しの顔を見て、主税は思わず、
「あッ」と叫んだ。それは女であるからであった。しかも両国の曲独楽使いの、女太夫のあやめ[#「あやめ」に傍点]であった。
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