国枝史郎「仇討姉妹笠」(09) (かたきうちきょうだいがさ)

国枝史郎「仇討姉妹笠」(09)

   第二の犠牲

 手折った桜の枝が地に落ちていて、花が屍《しがい》の辺りに散り敷いているのが、憐れさの風情を添えていた。
 中納言家は傷《いた》わしそうに、楓《かえで》の死骸を見下ろしていたが、
「玄達《げんたつ》を呼んでともかくも手当てを」
 こう頼母に囁くように云い、四辺《あたり》を仔細に見廻したが、ふと審しそうに呟かれた。
「この頃に庭を手入れしたと見えるな」
 頼母は庭番の源兵衛へ、奥医師の玄達を連れて来るように吩咐《いいつ》け、それから中納言家へ頭を下げ、
「数日前に庭師を入れまして、樹木の植込み手入れ刈込み、庭石の置き換えなどいたさせました」
「そうらしいの、様子が変わっている」
 改めて中納言家は四辺を見廻された。
 桜の老樹や若木に雑って、棕櫚だの梅だの松だの楓だの、竹だの青桐だのが、趣深く、布置整然と植込まれてい、その間に珍奇な庭石が、春の陽に面を照らしながら、暖かそうに据えられてあった。
 ずっとあなたに椿の林があって、その中に亭が立っていた。
 間もなく幾人かの侍臣と共に、奥医師玄達が小走って来た。大奥の腰元や老女たちも、その後から狼狽《あわて》て走って来た。
 玄達はすぐに死骸の側《そば》へかがみ仔細に死骸を調べ出した。
「駄目か?」と中納言家は小声で訊かれた。
「全く絶望にござります」
 玄達も小声で答えた。
「死因は何か?」
「さあその儀――いまだ不明にござりまする。……腹中の食物など調べましたなら……」
「では、外傷らしいものはないのだな」
「はい、いささかも……外傷らしいものは」
「ともかくも死骸を奥へ運んで、外科医宗沢とも相談し、是非死因を確かめるよう」
「かしこまりましてござります」
 やがて楓の死骸は侍臣たちによって、館の方へ運ばれた。
「不思議だのう」と呟きながら、なお中納言家は佇んでおられた。
 その間には侍臣や腰元たちは、楓を殺した敵らしいものが、どこかその辺りに隠れていないかと、それを探そうとでもするかのように、木立の間や岩の陰や、椿の林などへ分け入った。
 広いといっても庭であり、植込みが繁っているといっても、たかが庭の植込みであって、怪しい者など隠れていようものなら、すぐにも発見されなければならなかった。
 何者も隠れていなかったらしく、人々はポツポツと戻って来た。
 と、不意に人々の間から、絹を裂くような女の悲鳴が聞こえた。
 老女と一緒に来た腰元の中の一人、萩枝《はぎえ》という二十一の小肥りの女が、両手で空を掴みながら、クルリと体を回転し、そのまま地上へ転がったのである。
 狼狽して人々は飛び退いた。
 その人の垣に囲まれたまま、萩枝は地上を転がり廻り、胸を掻き髪を※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]り、
「苦しい! 麻痺《しびれ》る! ……助けて助けて!」と嗄《しゃが》れた声で叫んだが、見る見る顔から血の気が消え、やがて延びて動かなくなった。

 この日の宵のことであった。山岸主税《ちから》は両国広小路の、例の曲独楽の定席小屋の、裏木戸口に佇んで、太夫元の勘兵衛という四十五六の男と、当惑しながら話していた。
「ではもうあやめ[#「あやめ」に傍点]は居ないというのか」
「へい、この小屋にはおりません」
「つまり席を退いたのだな」
「と云うことになりましょうね」
 どうにも云うことが曖昧であった。
 それに何とこの辺りは、暗くそうして寂しいことか。
 裏木戸に面した反対側は、小借長屋らしく思われたが、どうやら空店になっているらしく、ビッシリ雨戸がとざされていて、火影一筋洩れて来なかった。
 洞窟の穴かのように、長方形に空いている木戸口にも、燈《ひ》というものは点《つ》いていなかった。しかし、遥かの小屋の奥から、ぼんやり蝋燭の光が射して来ていて、眼の窪んだ、鼻の尖った、頬骨の立った悪相の持主の、勘兵衛という男を厭らしい存在として、照らし出してはいるのであった。
「昨日《きのう》まではこの小屋に出ていたはずだが、いつあやめ[#「あやめ」に傍点]は席を退いたのだ?」
 こう主税は又訊いた。
「退いたとも何とも申しちゃアいません。ただ彼女《あいつ》今日はいないので」
「一体あやめ[#「あやめ」に傍点]はどこに住んでいるのだ?」
「さあそいつ[#「そいつ」に傍点]は……そいつはどうも……それより一体貴郎《あなた》様は、どうして何のために彼女を訪ねて、わざわざおいでなすったんで?」
 かえって怪訝そうに勘兵衛は訊いた。



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