国枝史郎「仇討姉妹笠」(13) (かたきうちきょうだいがさ)

国枝史郎「仇討姉妹笠」(13)

   愛する人を

「そうだ!」「やれ!」と覚兵衛の一味が、さながら逆浪の寄せるように、主税《ちから》を目掛けて寄せた時、遥かあなたの木間から、薄赤い一点の火の光が、鬼火のように不意に現われて、こなたへユラユラと寄って来た。
「南無三宝! 方々待たれい! 火の光が見える、何者か来る! 目つけられては一大事! 残念ながら一まず引こう! 味方の死人負傷者《ておい》を片付け、退散々々方々退散」と杉の根元にいる覚兵衛が、狼狽した声でそう叫んだ。
 いかにも訓練が行き届いていた。その声に応じて十数人の、飛田林覚兵衛の一味達は、仆れている死人や負傷者を抱え、林を分け藪を巡り、いずこへともなく走り去った。
 で、その後には気味の悪いような、静寂《しずけさ》ばかりがこの境地に残った。
 常磐木《ときわぎ》――杉や松や柏や、榎、桧などの間に立ち雑って、仄白い花を咲かせていた桜の花がひとしきり、花弁《はなびら》を瀧のように零したのは、逃げて行く際に覚兵衛の一味が、それらの木々にぶつかっ[#「ぶつかっ」に傍点]たからであろう。
 と、俄然主税の体が、刀をしっかりと握ったまま腐木《くちき》のように地に仆れた。斬られて死んで斃れたのではなかった。
 心身まったく疲労《つかれ》果て、気絶をして仆れたのである。
 そういう主税の仆れている体へ、降りかかっているのは落花であり、そういう主税の方へ寄って来るのは薄赤い燈の光であった。
 そうして薄赤いその燈の光は、昨夜御用地の林の中で、老人と少年と女猿廻しとが、かかげていたところの龕燈の火と、全く同じ光であった。その龕燈の燈が近づいて来る。ではあの老人と少年と、女猿廻しとがその燈と共に、近付いて来るものと解さなければならない。
 でもにわかにその龕燈の燈は、大藪の辺りから横に逸れ、やがて大藪の陰へかくれ、ふたたび姿を現わさなかった。
 そこで又この境地はひっそりとなり、鋭い切先の一所を、ギラギラ月光に光らせた抜身を、いまだにしっかり握っている主税が、干鱈のように仆れているばかりであった。
 時がだんだんに経って行った。
 やがて、主税は気絶から覚めた。
 誰か自分を呼んでいるようである。
 そうして、自分の後脳の下に、暖かい柔らかい枕があった。
 主税はぼんやり眼を開けて見た。
 自分の顔のすぐの真上に、自分の顔へ蔽いかぶさるように、星のような眼と、高い鼻と、薄くはあるが大型の口と、そういう道具の女の顔が、周囲《まわり》を黒の楕円形で仕切って、浮いているのが見て取られた。
 お高祖頭巾で顔を包んだ、浪速《なにわ》あやめ[#「あやめ」に傍点]の顔であった。
(あやめ[#「あやめ」に傍点]がどうしてこんな所に?)
 気力は恢復してはいなかったが、意識は返っていた主税はこう思って、口に出してそれを云おうとした。
 でも言葉は出せなかった。それ程に衰弱しているのであった。眼を開けていることも出来なくなった。そこで彼は眼を閉じた。
 そう、主税に膝枕をさせ、介抱している女はあやめ[#「あやめ」に傍点]であった。鼠小紋の小袖に小柳繻子の帯、紫の半襟というその風俗は、女太夫というよりも、町家の若女房という風であり、お高祖頭巾で顔を包んでいるので、謎を持った秘密の女めいても見えた。
「山岸様、山岸主税様! お気が付かれたそうな、まア嬉しい! 山岸様々々々!」とあやめ[#「あやめ」に傍点]はいかにも嬉しそうに、自分の顔を主税の顔へ近づけ、情熱的の声で云った。
「それに致しましても何て妾《わたし》は、申し訳のないこといたしましたことか! どうぞお許しなすって下さいまし。……ほんの妾の悪戯《いたずら》[#「《いたずら》」は底本では「《いたづら》」]心から、差しあげた独楽が原因となって、こんな恐ろしいことになるなんて。……それはあの独楽には何か秘密が、――深い秘密のあるということは、妾にも感づいてはおりましたが、でもそのためにあなた様へ、あの独楽を上げたのではごさいません。……ほんの妾の出来心から。……それもあなた様がお可愛らしかったから。……まあ厭な、なんて妾は……」
 これがもし昼間であろうものなら、彼女の頬に赤味が注し、恥らいでその眼が潤んだことを、見てとることが出来たであろう。



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