国枝史郎「仇討姉妹笠」(14) (かたきうちきょうだいがさ)

国枝史郎「仇討姉妹笠」(14)

   勘兵衛や武士を殺した者は?

 あやめ[#「あやめ」に傍点]があの独楽を手に入れたのは、浪速高津《なにわこうず》の古物商からであった。それも孕独楽《はらみごま》一揃いとして、普通に買入れたのに過ぎなかった。その親独楽も十個の子独楽も、名工四国太夫の製作にかかわる、名品であるということは、彼女にもよく解《わか》っていた。そうして子独楽の中の一個《ひとつ》だけが、廻すとその面へ文字を現わすことをも彼女はよく解っていた。
 すると、或日一人の武士が、飛田林覚兵衛《とんだばやしかくべえ》と宣《なの》りながら、彼女の許へ訪ねて来て、孕独楽を譲ってくれるようにと云った。しかしあやめ[#「あやめ」に傍点]は商売道具だから、独楽は譲れないと断った。すると覚兵衛は子独楽の一つ、文字を現わす子独楽を譲ってくれるようにと云い、莫大な金高を切り出した。それであやめ[#「あやめ」に傍点]はその子独楽が、尋常の品でないことを知った。それにその子独楽一つだけを譲れば、孕独楽は後家独楽になってしまう。そこであやめ[#「あやめ」に傍点]は断った。
 しかし、覚兵衛は断念しないで、その後もあやめを付け廻し、或いは嚇し或いは透かし[#「透かし」はママ]て、その子独楽を手中に入れようとした。それがあやめ[#「あやめ」に傍点]の疳に障り、感情的にその子独楽を、覚兵衛には譲るまいと決心した。と同時にその子独楽が、あやめ[#「あやめ」に傍点]には荷厄介の物に思われて来た。その中あやめ[#「あやめ」に傍点]は縁があって、江戸の両国へ出ることになった。
 そこで浪速から江戸へ来た。するとどうだろう飛田林覚兵衛も、江戸へ追っかけて来たではないか。
 こうして昨日《きのう》の昼席となった。
 舞台で孕独楽を使っていると、間近の桟敷で美貌の若武士が――すなわち山岸主税なのであるが、熱心に芸当を見物していた。ところが同じその桟敷に、飛田林覚兵衛もいて、いかにも子独楽が欲しそうに、眼を据えて見物していた。
(可愛らしいお方)と主税に対しては思い、(小面憎い奴)と覚兵衛に対しては感じ、この二つの心持から、あやめ[#「あやめ」に傍点]は悪戯《いたずら》[#「《いたずら》」は底本では「《いたづら》」]をしてしまったのである。即ち舞台から例の小独楽を、見事に覚兵衛の眼を掠め、主税の袖の中へ投げ込んだのである。
(孕独楽が後家独楽になろうとままよ、妾《わたし》にはあんな子独楽用はない。……これで本当にサバサバしてしまった)
 あやめ[#「あやめ」に傍点]はそう思ったことであった。
 そうして彼女は今日の昼席から、定席へも出演《で》ないことに決心し、宿所《やど》をさえ出て行方を眩ましてしまった。それは彼女にとっては一生の大事業を、決行することに心を定め、その準備に取りかかったからであった。
 でも彼女は夕方になった時、職場が恋しくなって来た。そこでこっそり出かけて行った。ところが裏木戸の辺りまで行って見ると、太夫元の勘兵衛と山岸主税とが、自分のことについて話しているではないか。そこで、彼女は側《そば》の空店《あきだな》の中へ、素早く入って身を忍ばせ、二人の話を立聞きした。その中に勘兵衛が無礼の仕打ちを、主税に対してとろうとした。
(どうで勘兵衛は遅かれ早かれ、妾が手にかけて殺さなければ、虫の納まらない奴なのだから、いっそ此処で殺してしまおう)
 あやめ[#「あやめ」に傍点]は心をそう定めた。
 で、手練の独楽の紐を――麻と絹糸と女の髪の毛とで、蛇のように強い弾力性を持たせて、独特に作った独楽の紐を、雨戸の隙から繰り出して、勘兵衛の首へ巻き付けて、締めて他愛なく殺してしまった。
(これで妾の一生の大事業の、一つだけを片付けたというものさ)
 もっと苦しめて殺してやれなかったことに、心外さこそは覚えたが、殺したことには満足を感じ、彼女は紐を手繰り寄せ、懐中《ふところ》へ納めて様子をうかがった。
 すると小屋から人が出て来るらしく、主税が急いで立ち去った。
 そこであやめ[#「あやめ」に傍点]も空店から走り出し、主税の後を追っかけた。
 主税が自分を両国広小路の、独楽の定席へ訪ねて来たのは、自分が主税の袖へ投げ込んだ独楽の、秘密を聞きたかったに相違ないと、そうあやめ[#「あやめ」に傍点]は思ったので、主税に逢ってそれを話そうと、さてこそ主税を追っかけたのであったが、愛を感じている相手だっただけに、突然近付いて話しかけることが、彼女のような女にも面伏せであり、そこでただ彼女は主税の行く方へ、後から従いて行くばかりであった。そのあげく、お茶の水のここへ来た。その結果がこの有様となった。
「山岸様!」とあやめ[#「あやめ」に傍点]は呼んで、膝の上に乗っている主税の顔へ、また自分の顔を近付けて行った。
「大藪の中から紐を繰り出し、お侍さんの一人を絞め殺しましたのは、このあやめ[#「あやめ」に傍点]でございます。……わたしの差し上げた独楽のことから、このような大難にお逢いなされ、あなた様にはさぞこのあやめ[#「あやめ」に傍点]が、憎い女に思われるでございましょうが、あなた様のお為に人間一人を、締め殺しましたことにお免じ下され、どうぞお許しなすって下さいまし」



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