国枝史郎「仇討姉妹笠」(20) (かたきうちきょうだいがさ)

国枝史郎「仇討姉妹笠」(20)

   お八重の受難

 そういうお八重を松浦頼母は、嘲笑いの眼で見詰めたが、
「去年の秋御殿で催された、観楓の酒宴以来其方《そち》と主税《ちから》とが、恋仲になったということは、わしにおいては存じて居った。が、お八重其方も存じおるはずだが、其方を恋して其方という者を、主税より先に我物にしようと、懇望したものは誰だったかのう?」
 頼母はお八重を嘗めるように見たが、
「わしであったはずじゃ、頼母であったはずじゃ」
 云い云い頼母は老いても衰えない、盛り上っている肉太の膝を、お八重の方へニジリ[#「ニジリ」は底本では「ニヂリ」]寄せた。
 お八重は背後《うしろ》へ体を退《ず》らせたが、しかしその瞬間去年の秋の、観楓の酒宴での出来事を、幻のように思い出した。
 その日、夜になって座が乱れた。お八重は酒に酔わされたので、醒まそうと思って庭へ出た。と、突然背後から、彼女に触れようとする者があった。お八重は驚いて振り返ってみると、意外にも奥家老の松浦頼母で、
「其方《そち》がお館へ上った日以来、わしは其方に執心だったのじゃ」と云った。
 すると、そこへちょうど折よく、これも酒の酔いを醒まそうとして、通り掛かった山岸主税が、
「や、これはご家老様にはお八重殿にご酔興なそうな。アッ、ハッ、ハッ、お気の毒千万、そのお八重殿とわたくしめとは、夫婦約束いたした仲でござる。わたくしめの許婚《いいなずけ》をお取りなさるは殺生、まずまずお許し下されませ」と冗談にまぎらせて仲を距て、お八重の危難を救ってくれた。
 ところがこれが縁となって、お八重と主税とは恋仲となり、肉体《からだ》こそ未だに純潔ではあれ、末は必ず夫婦になろうと約束を結んだのであった。しかるに一方松浦頼母も、お八重への恋慕を捨ようとはしないで、絶えずお八重を口説いたことであった。そうして今お八重にとって、命の瀬戸際というこの時になって、……
「お八重」と頼母は唆かすように云った。
「今日の昼主税めわしの所へ参り、『私こと昨夜お館附近を、見廻り警戒いたしおりましたところ、怪しい女猿廻しめが、ご用地附近におりましたので、引っとらえようといたしましたところその猿廻しめは逃げましたが、独楽を落としましてござります。調べましたところ独楽に細工あって、隠語を認めましたこのような紙片が、封じ込めありましてございます。隠語を解けば――コンヤウラモンニテ、と。……思うにこれはお館の中に、女猿廻しの一味が居りまして、それと連絡をとりまして、お館の大切な器類を、盗み出したに相違なく、しかも女猿廻し一味のものは、女に相違ござりませぬ。何故と申せば隠語の文字、女文字ゆえでござりまする。左様、女にござりまする! 奥方様付のお腰元、お八重殿にごさりまする! わたくしお八重殿の文字の癖をよく存じておりまする』とな。……」
「嘘だ嘘だ! 嘘でごさりまする! 主税殿が何でそのようなことを!」
 手を握りしめ歯切りをし、お八重はほとんど狂乱の様で、思わず声高に叫ぶように云った。
「妾《わたし》の、妾の、主税様が!」
「フッフッフッ、ハッハッハッ、可哀そうや可哀そうやのう[#「のう」に傍点]お八重、其方《そち》としては信じていた恋男が、そのようなことをするものかと、そう思うのは無理もないが、それこそ恋に眼の眩んだ、浅はかな女の思惑というもの、まことは主税というあの若造、軽薄で出世好みで、それくらいの所業など平気でやらかす、始末の悪い男なのじゃ。つまるところ恋女の其方を売って、自分の出世の種にしたのよ」
 ここで頼母はお八重の顔を、上眼使いに盗むように見たが、
「だが、座敷牢へは入れたものの、其方の考え一つによって命助ける術もある。お八重、強情は張らぬがよい、この頼母の云うことを聞け! 頼母其方《そなた》の命を助ける!」と又肉太の膝をムズリと、お八重の方へ進めて行った。


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