国枝史郎「仇討姉妹笠」(31) (かたきうちきょうだいがさ)

国枝史郎「仇討姉妹笠」(31)

   独楽を奪われる

 八重を小脇に引っ抱え、血に濡れた刀をひっさげて、山岸主税《やまぎしちから》は庭へ出た。
 猿によって縛めの縄を切られ、勇躍してお八重へ走り寄り、その縛めの縄を解いた。すると、そこへ二人の武士が来た。やにわに一人を斬り伏せて、お八重を抱え廊下を走り、雨戸を蹴破り庭へ出た。
 そういう山岸主税であった。
 すぐに月光が二人を照らした。その月光の蒼白いなかに、二つの女の人影があったが、
「山岸様!」
「お八重様!」
 と、同時に叫んで走り寄って来た。
「あッ、そなたはあやめ[#「あやめ」に傍点]殿!」
「まあまああなたはお葉様か!」
 主税とお八重とは驚いて叫んだ。
「事情は後から……今は遁れて! ……こっちへこっちへ!」と叫びながら、あやめ[#「あやめ」に傍点]は門の方へ先頭に立って走った。
 後につづいて一同も走った。開けられてある門を出れば、田安家お屋敷の廓内であった。
 木立をくぐり建物を巡り、廓《くるわ》の外へ出ようものと、男女四人はひた[#「ひた」に傍点]走った。するとその時背後《うしろ》から、追い迫って来る数人の足音が聞こえた。
(一人二人叩っ斬ってやろう)
 今まで苦しめられた鬱忿と、女たちを逃がしてやる手段としても、そうしなければなるまいと主税は咄嗟に決心した。
「拙者にかまわず三人には、早く土塀を乗り越えて、屋敷より外へお出でなされ。……拙者は彼奴《きゃつ》らを一人二人! ……」
 云いすてると主税は引っ返した。
「それでは妾《わたし》も!」と強気のあやめ[#「あやめ」に傍点]が、主税の後から後を追った。
「お葉や、お前はお八重様を連れて……」
「あい。……それでは。……お八重様!」
 二人の女は先へ走った。主税の正面から浪人の一人が、命知らずにも斬り込んで来た。
「怨、晴らすぞ!」と主税は喚き、片膝折り敷くと思ったが、抜き持っていた刀を横へ払った。斬られた浪人は悲鳴と共に、手から刀を氷柱のように落とし、両手で右の脇腹を抑え、やがて仆れてノタウチ廻った。
 すると、その横をひた[#「ひた」に傍点]走って、あやめ[#「あやめ」に傍点]の方へ突き進む男があった。
「八重! 女郎《めろう》! 逃がしてたまるか!」
 あやめ[#「あやめ」に傍点]をお八重と間違えたらしく、こう叫んで大手を拡げたのは、太夫元の勘兵衛であった。
「汝《おのれ》は勘兵衛! 生きていたのか!」
 お高祖頭巾をかなぐり捨たあやめ[#「あやめ」に傍点]は、内懐中《うちぶところ》へ片手を差し入れたまま、さすがに驚いて声をかけた。
「わりゃアあやめ[#「あやめ」に傍点]!」と仰天し、勘兵衛も震えながら音をあげた。
「どうしてここへ※[#感嘆符疑問符、1-8-78] こんな夜中に!」――でもようやく元気を取り戻すと、
「生き返ったのよ、業が深いからのう。……あんな生温い締め方では……」
「そうか、それじゃアもう一度」
 あやめ[#「あやめ」に傍点]の手が素早く内懐中から抜かれて、高く頭上へ振りかぶられた。瞬間「わーッ」と勘兵衛は叫び、両手で咽喉を掻きむしった。
「これでもか! これでもか! これでもか」
 ピンと延びている紐を手繰《たぐ》り、勘兵衛を地上に引き摺り引き摺り、
「くたばれ! 殺す! 今度こそ殺す! ……お父様の敵《かたき》! 敵の片割れ!」
「山岸氏参るぞ――ッ」と、もう一人の浪人と、主税の横から迫ったのは、飛田林覚兵衛《とんだばやしかくべえ》であった。が、覚兵衛はお八重らしい女が、もう一人の女と遥か彼方を、木立をくぐって走って行くのを見るや、
「南部氏……主税は……貴殿へお任せ! ……拙者はお八重を!」と浪人へ叫び、二人の女を追っかけた。
 頼母は一旦は走り出たが、部屋へ置いて来た独楽のことが、気にかかってならなかった。
 それで屋敷へ取って返し、廊下を小走り部屋へ入った。
「あッ」
 頼母は立縮んだ。
 赤いちゃんちゃんこを着た一匹の小猿が、淀屋の独楽を両手に持ち、胸の辺りに支えて覗いているではないか。
 頼母はクラクラと眼が廻った。
「…………」
 無言で背後から躍りかかった。
 その頼母の袖の下をくぐり、藤八猿は独楽を握ったまま、素早く廊下へ飛び出した。
「はーッ」と不安の溜息を吐き、後を追って頼母も廊下へ出た。数間の先を猿は走っている。
「はーッ」
 頼母はよろめきながら追った。猿は庭へ飛び下りた。頼母も庭へ飛び下りたが、猿の姿は見えなかった。
 頼母はベタベタと地へ坐った。
「取られた! ……独楽を! ……淀屋の独楽を! ……猿に! ……はーッ……猿に! 猿に!」



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