国枝史郎「仇討姉妹笠」(33) (かたきうちきょうだいがさ)

国枝史郎「仇討姉妹笠」(33)

   怪老人の魔法

 野道の上に立っているのは、例の「飛加藤《とびかとう》の亜流」と呼ばれた、白髪自髯の老人と、昼も点っている龕燈を持った珠玉のように美しい少年とであり、百姓、子守娘、旅人、行商人、托鉢僧などがその二人を、面白そうに囲繞《とりま》いていた。
 不思議な事件が行なわれていた。
 美少年が手にした龕燈の光を、地面の一所へ投げかけていた。夕陽が強く照っている地面へ、龕燈の光など投げかけたところで、光の度に相違などないはずなのであるが、でもいくらかは違っていて、やはりそこだけが琥珀色の、微妙な色を呈していた。
 と、その光の圏内へ、棒が一本突き出された。飛加藤の亜流という老人が、自然木の杖を突き出したのである。円味を帯びたその杖の先が、地面の一所を軽く突いて、一つの小さい穴をあけると、その穴の中から薄緑色の芽が、筆の穂先のように現われ出で、見る見るうちにそれが延びて、やがて可愛らしい双葉となった。
「これは変だ」「どうしたというのだ」「こう早く草が延びるとは妙だ」と、たかって[#「たかって」に傍点]いた人々は、恐ろしさのあまり飛退いた。双葉はぐんぐんと生長を続け、蔓が生え、それが延び、蔓の左右から葉が生い出でた。二尺、三尺、一間、三間!
 蔓は三間も延びたのである。
 と、忽然蔓の頂上《てっぺん》へ、笠ほどの大きさの花が咲いた。
「わッ」
 人々は声をあげ、驚きと賞讃と不気味さをもって、夕顔のような白い花を、まぶしそうにふり仰いで眺めた。
「アッハッハッ、幻じゃ! 実在《ほんもの》ではない仮の象《すがた》じゃ!」
 夕顔の花から二間ほど離れ、夕顔の花を仰ぎ見ながら、杖に寄っていた飛加藤の亜流は、払子のような白髯を顫わせながら、皮肉に愉快そうにそう云った。
「何で夕顔がこのように早く、このように大きく育つことがあろう! みんなケレンじゃ、みんな詭計じゃ! わしは不正直が嫌いだから、ほんとうのことを云っておく、みんなこいつはケレンじゃと。……ただし、印度の婆羅門僧は、こういうことをケレンでなく、実行するということだが、わしは一度も見たことがないから、真偽のほどは云い切れない。……しかしじゃ、皆さん、生きとし生けるものは、ことごとく愛情を基としていて、愛情あれば生長するし、愛情がなければ育たない。だからあるいはわしという人間が、特に愛情を強く持って『夕顔の花よお開き』と念じ、それだけの経営をやったなら、夕顔の花はその愛に感じ、多少は早く咲くかもしれない。……いやそれにしても現在《いま》の浮世、愛情の深い真面目の人間が、めっきり少くなったのう。……そこでわしは昼も龕燈をともして、真面目の人間よどこかにいてくれと、歩きまわって探しているのさ。……ここにお立ち合いの皆様方は、みんな真面目のお方らしい。そこでわしはわしの信ずる、人間の道をお話しして……いや待てよ、一人だけ、邪悪《よこしま》の人間がいるようだ。死にかわり生きかわり執念深く、人に禍いをする悪人がいる。――こういう悪人へ道を説いても駄目だ。説かれた道を悪用して、一層人間に禍いする! こういう悪人へ制裁を加え、懲すのがわしの務めなのじゃ……」
 突然高く自然木の杖が、夕顔の花と向かい合い、夕焼の空へかざされた。そうしてその杖が横へ流れた途端、夕顔の蔓の一所が折れ、夕顔の花が人間の顔のように、グッタリと垂れて宙に下った。
 同時に獣の悲鳴のような声が、たかっている人達の間から起こり、すぐに乾いている野道から、パッと塵埃《ほこり》が立ち上った。
 見れば一人の人間が、首根ッ子を両手で抑え、野道の上を、塵埃の中を、転げ廻りノタウッている。
 意外にもそれは勘兵衛であった。二度までも浪速あやめ[#「あやめ」に傍点]によって、締め殺されたはずの勘兵衛であった。



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