国枝史郎「仇討姉妹笠」(37) (かたきうちきょうだいがさ)

国枝史郎「仇討姉妹笠」(37)

   蝋燭の燈の下で

「お猿廻しましょう」と声がかかり、赤いちゃんちゃんこ[#「ちゃんちゃんこ」に傍点]を着た藤八猿が、奥の部屋へ毬のように飛び込んで来たので主税とあやめ[#「あやめ」に傍点]とははっとした。
「まあ藤八だよ!」と叫んだのは、襟を掻き合わせたあやめ[#「あやめ」に傍点]であり、
「独楽を持っている、淀屋の独楽を!」と、つづいて叫んだのは主税であった。
 その前で藤八猿は独楽を持ったまま、綺麗に飜斗《とんぼ》を切って見せた。
「捕らえろ! 捕らえて淀屋の独楽を!」
 二人が藤八猿を追っかけると、猿は驚いて門口の方へ逃げた。それを追って門口まで走った……
 と、土間の宵闇の中に、女猿廻しが静かに立っていた。
「ま、やっぱりあやめ[#「あやめ」に傍点]お姉様!」
「お前は妹! まアお葉かえ!」

 この頃勘兵衛は野の道を、荏原屋敷の方へ走っていた。懐中《ふところ》をしっかり抑えている。主税とあやめ[#「あやめ」に傍点]とが猿を追って、土間の方へ走って行った隙を狙い、奪い取った第一の淀屋の独楽が、懐中の中にあるのであった。
(こいつを頼母様へ献上してみろ、俺、どんなに褒められるかしれねえ。……それにしてもあやめ[#「あやめ」に傍点]と主税とが、あんな所に住んでいようとは。……頼母様にお勧めして、今夜にも捕らえて処刑してやらなけりゃア。……)
 飛加藤の亜流という老人も、それにたかって[#「たかって」に傍点]いた人々も、とう[#「とう」に傍点]に散って誰もいない野の道を、小鬼のように走りながら、そんなことを思っているのであった。
 空には星がちらばってい、荏原屋敷を囲んでいる森が、遥かの行手に黒く見えていた。

 やがてこの夜も更けて真夜中となった。
 と、荏原屋敷の一所に、ポッツリ蝋燭の燈が点った。
 森と、土塀と、植込と、三重の囲いにかこわれて、大旗本の下屋敷かのように、荏原屋敷の建物が立っていた。歴史と伝説《いいつたえ》と罪悪《つみ》と栄誉《ほまれ》とで、長年蔽われていたこの屋敷には、主人夫婦や寄宿人《かかりうど》や、使僕《めしつかい》や小作人の家族たちが、三十人近くも住んでいるのであった。でも今は宏大なその屋敷も、星と月との光の下に、静かな眠りに入っていた。
 その屋敷の一所に、蝋燭の燈が点っているのであった。
 四方を木々に囲まれながら、一宇の亭《ちん》が立っていて、陶器《すえもの》で造った円形の卓が、その中央に置かれてあり、その上に、太巻の蝋燭が、赤黄色く燃えているのであった。そうしてその燈に照らされながら、三つの顔が明るく浮き出していた。松浦頼母と弟の主馬之進――すなわちこの屋敷の主人公と、その主馬之進の妻の松女《まつじょ》との顔で、その三人は榻《とう》に腰かけ、卓の上の蝋燭の燈の下で、渦のように廻っている淀屋の独楽を、睨むようにして見守っていた。……
 独楽は勘兵衛が今日の宵の口に、主税とあやめとの住居から奪い、頼母に献じたその独楽で、この独楽を頼母は手に入れるや、部屋で即座に廻してみた。幾十回となく廻してみた。と、独楽の蓋にあたる箇所へ、次々に文字が現われて来た。
「淀」「荏原屋敷」「に有りて」「飛加藤の亜流」等々という文字が現われて来た。……でももうそれ以上は現われなかった。ではどうしてこんな深夜に、庭の亭の卓の上などで、改めて独楽を廻すのだろう?
 それは荏原屋敷の伝説からであった。
 伝説によるとこれらの亭は、荏原屋敷の祖先の高麗人が、高麗から持って来たものであり、それをここへ据え付ける場合にも、特にその卓の面は絶対に水平[#「水平」に傍点]に、据えられたと云い伝えられていた。そういう意味からこの亭のことを、「水平の亭」と呼んで、遥かあなたに杉の木に囲まれた「閉扉《あけず》の館」などと共に、荏原屋敷の七不思議の中の、一つの不思議として数えられているのであった……



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