国枝史郎「仇討姉妹笠」(38) (かたきうちきょうだいがさ)

国枝史郎「仇討姉妹笠」(38)

   まだ解けぬ謎

「絶対に水平のあの卓の上で、淀屋の独楽をお廻しになったら、別の文字が現われはしますまいか」
 ふと気がついたというように、深夜になって頼母へそう云ったのは、主馬之進の妻の松女であった。
「なるほど、それではやってみよう」
 でも卓の上で廻しても、独楽の面へ現われる文字は、あれの他には何もなかった。
「駄目だのう」と頼母は云って、落胆したように顔を上げた。
「あれ以上に文字は現われないのであろうよ。……この独楽に現われたあれらの文字と、以前にわしの持っていた独楽へ現われた文字、それを一緒にして綴ってみようではないか。何らかの意味をなすかもしれない」
「それがよろしゅうございましょう」
 こう云ったのは主馬之進であった。主馬之進は頼母の弟だけに、頼母にその容貌は酷似していたが、俳優などに見られるような、厭らしいまでの色気があって、婦人《おんな》の愛情を掻き立てるだけの、強い魅力を持っていた。
「この独楽へ現われた文字といえば『淀』『荏原屋敷』『有りて』『「飛加藤の亜流』という十五文字だし、以前《まえ》にわしの持っていた独楽へ現われた文字は、『屋の財宝は』『代々』『守護す』『見る日は南』の十五文字じゃ。……で、わしは先刻《さっき》からこの三十文字を、いろいろに考えて綴り合わせてみたが、こう綴るのが正しいらしい……ともかくも意味をなすよ『淀屋の財宝は代々荏原屋敷に有りて、飛加藤の亜流守護す』と、なるのだからの」
「飛加藤の亜流とは何でしょう?」
 主馬之進の妻の松女が訊いた。
 彼女はもう四十を過ごしていた。でも美貌は失われていなかった。大旗本以上の豪族であるところの、荏原屋敷の主婦としての貫禄、それも体に備わっていた。あやめ[#「あやめ」に傍点]やお葉の母親だけあって、品位なども人に立ち勝っていた。が、蝋燭の燈に照らされると、さすが小鼻の左右に深い陰影《かげ》などがつき、全体に窶れが窺われ、それに眼などもおちつか[#「おちつか」に傍点]ないで、なにか良心に咎められている。――そんなようなところが感じられた。
「飛加藤の亜流と申すのはな」と、頼母は松女を見い見い云った。
「白昼に龕燈をともしなどして、奇行をして世間を歩き廻っている、隠者のような老人とのことで。……勘兵衛めがそう云いましたよ。今日も夕方この近くの野道で、怪しい行ないをいたしましたとかで……」
「その飛加藤の亜流とかいう老人が、代々財宝を守護するなどと、文字の上に現われました以上は、その老人を捕らえませねば……」
「左様、捕らえて糺明するのが、万全の策には相違ござらぬが、その飛加藤の亜流という老人、どこにいるのやらどこへ現われるのやら、とんと我らにしれませぬのでな」
「それより……」と主馬之進が口を出した。
「『見る日は南』という訳のわらぬ文句が、隠語の中にありまするが、何のことでございましょうな?」
「それがさ、わしにも解《わか》らぬのだよ」と頼母は当惑したように云った。
「この文句だけが独立して――他の文句と飛び離れて記されてあるので、何ともわしにも意味が解らぬ。……だがしかしそれだけに、この文句の意味が解けた時に、淀屋の財宝の真の在場所が、解るようにも思われる……」
「三つ目の淀屋の独楽を目つけ出し、隠語を探り知りました時、この文句の意味も自ずから解けると、そんなように思われまするが」
「そうだよそうだよわしもそう思う。が、三つ目の淀屋の独楽が、果たしてどこにあるものやら、とんとわしには解らぬのでのう」
 三人はここで黙ってしまった。
 屋敷の構内に古池でもあって、そこに鷭《ばん》でも住んでいるのだろう、その啼声と羽搏きとが聞こえた。
 と、ふいにこの時茂《しげみ》の陰から、「誰だ!」という誰何の声が聞こえた。
 三人はハッとして顔を見合わせた。と、すぐに悲鳴が聞こえ、つづいて物の仆れる音がした。三人は思わず立ち上った。
 するとこの亭を囲繞《とりま》いている木々の向こうから、この亭の人々を警護していた、飛田林覚兵衛と勘兵衛との声が、狼狽したらしく聞こえてきた。



[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送