国枝史郎「仇討姉妹笠」(43) (かたきうちきょうだいがさ)

国枝史郎「仇討姉妹笠」(43)

   亡魂の招くところ

 たちまちふいに闇の部屋の中へ、一筋の薄赤い光が射した。
(あっ)と二人ながら驚いて、光の来た方へ眼をやった。
 奥の部屋を境している襖があって、その襖が細目に開いて、そっちの部屋にある燈火《ともしび》の光が、その隙間から射し込んで来たと、そう思われるような薄赤い光が、ぼっとこの部屋に射して来ていた。
「貴郎《あなた》!」とあやめ[#「あやめ」に傍点]は怯えた声で云った。
「あけずの館に燈火の光が! ……では誰かがいるのです! ……恐ろしい、おおどうしよう!」
 主税も恐怖を新規《あらた》にして、燈火の光を睨んだが、
「そういえば閉扉の館の戸が、内から自ずと開きましたのも、不思議なことの一つでござる。……そこへ燈火の光が射した! ……いかにも、さては、この古館には、何者か住んで居るものと見える! ……どっちみち助からぬ二人の命! ……敵の手にかかって殺されようと、怪しいものの手にかかって殺されようと、死ぬる命はひとつでござれば、怪しいものの正体を……」と主税はヌッと立ち上った。
「では妾《わたし》も」とあやめ[#「あやめ」に傍点]も立った。
 でも二人が隣部屋へ入った時には、薄赤い光は消えてしまった。
(さては心の迷いだったか)
(わたしたちの眼違いであったのかしら)
 二人は茫然と闇の中に、手を取り合って佇んだ。この間も戸を破る烈しい音が、二人の耳へ聞こえてきた。
 と、又も同じ光が、廊下をへだてている襖の隙から、幽かに薄赤く射して来た。
(さては廊下に!)
 あやめ[#「あやめ」に傍点]と主税とは、夢中のようにそっちへ走った。
 しかし廊下へ出た時には、その光は消えていた。
 が、廊下の一方の詰の、天井の方から同じ光が、気味悪く朦朧と射して来た。
 二階へ登る階段があって、その頂上から来るらしかった。
 二人はふたたび夢中の様で、階段を駈け上って二階へ登った。しかし二階へ上った時には、その光は消えていて、闇ばかりが二人の周囲《まわり》にあった。
 悪漢毒婦の毒手によって、無残に殺された男の怨恨《うらみ》が、十年もの間籠っているところの、ここはあけず[#「あけず」に傍点]の館であった。その館に持主の知れない薄赤い燈火の光が射して、あっちへ動きこっちへ移って、二人の男女を迷わせる! さては殺された先代の亡魂が、怨恨の執念から行なう業では? ……
 こう思えば思われる。
 これが二人を怯かしたのである。
「主税様階下《した》へ降りましょう。……もう妾《わたし》はこんな所には……こんな恐ろしい所には! ……それよりいっそ[#「いっそ」に傍点]階下へ降りて、頼母たちと斬り合って、敵《かな》わぬまでも一太刀怨み、その上で死にましょう!」
 あやめ[#「あやめ」に傍点]は前歯を鳴らしながら云った。
「うむ」と主税も呻くように云った。
「亡魂などにたぶらかされ、うろついて生恥さらすより、斬り死にしましょう、斬り死にしましょう」
 階段の方へ足を向けた。
 すると、又も朦朧と、例の薄赤い燈火の光が、廊下の方から射して釆た。
「あッ」
「又も、執念深い!」
 今は主税は恐怖よりも、烈しい怒りに駆り立てられ、猛然と廊下へ突き進んだ。
 その後からあやめ[#「あやめ」に傍点]も続いた。
 しかし、廊下には燈火はなく、堅く閉ざされてあるはずの雨戸の一枚が、細目に開けられてあるばかりであった。
 二人はその隙から戸外《そと》を見た。
 三階造りの頂上よりも高く、特殊に建てられてある閉扉の館の、高い高い二階から眺められる夜景は、随分美しいものであった。主屋をはじめ諸々の建物や、おおよその庭木は眼の下にあった。土塀なども勿論眼の下にあった。月は澄みきった空に漂い、その光は物象《もののかたち》を清く蒼白く、神々しい姿に照らしていた。



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