国枝史郎「仇討姉妹笠」(46) (かたきうちきょうだいがさ)

国枝史郎「仇討姉妹笠」(46)

   さまよう娘

 この頃植木師の一隊が、植木車を数台囲み、荏原屋敷の土塀の外側を、山の手の方へ進んでいた。車には植木が一本もなかった。
 どこかのお屋敷へ植木を植えて、車をすっかり空にして、自分たちの本拠の秩父の山中へ、今帰って行く途中らしい。
 二十人に近い植木師たちは、例によって袖無しに伊賀袴を穿き、山岡頭巾をかむった姿で、粛々として歩いていた。
 その中に一人女がいた。意外にもそれはお八重であった。
 やはり袖無しを着、伊賀袴を穿き、山岡頭巾をかむっている。
 肩を落とし、首を垂れ、悄々《しおしお》として歩いて行く姿は、憐れに寂しく悲しそうであった。それにしてもどうして植木師などの中に、彼女、お八重はいるのであろう?
 松浦頼母の一味によって、田安様お屋敷の構内で、お八重もあのとおり迫害されたが、でも辛うじて構内から遁れた。すると、そこに屯《たむろ》していたのが、十数人の植木師たちであった。
 彼女は植木師たちに助けを乞うた。植木師たちは承知して、彼女に彼らの衣裳を着せ、追って来た頼母の家来たちの眼を、巧みにくらませて隠してくれた。
 それからというもの彼女はその姿で、植木師たちと一緒に住み、植木師たちと一緒に出歩き、恋人主税の行方を探し、今日までくらして来たのであった。
 主税もお葉もその姉のあやめ[#「あやめ」に傍点]も、無事に田安邸から遁れ出たという、そういう消息は人伝てに聞いたが、どこに主税が居ることやら、それはいまだに解らなかった。
 植木師たちの本拠は秩父にあったが、秩父から直接植木を運んで、諸家へ植え込みはしないのであった。
 まず秩父から運んで来て、本門寺つづきの丘や谷に、その植木をとりこ[#「とりこ」に傍点]にして置き――そこが秩父の出店なのであるが――そこから次々に植木を運んで、諸家へ納めるようにしているのであった。ところがとりこ[#「とりこ」に傍点]にして置いたたくさんの植木が、今日ですっかり片付いてしまった。
 そこで彼らは本拠の秩父へ、今夜帰って行くことにし、今歩いているのであった。……
(わたしには他に行くところはない。わたしも秩父へ行くことにしよう)
 お八重はこう悲しく心に決めて、彼らと一緒に歩いているのであった。
(主税様はどこにどうしておられるやら。……)
 思われるのは恋人のことであった。
 ほとんど江戸中残るところなく、主税の行方を探したのであったが、けっきょく知ることが出来なかった。
 秩父山中へ行ってしまったら、――又、江戸へでる機会はあるにしても、秩父山中にいる間は、主税を探すことは出来ないわけであって、探すことさえ出来ないのであるから、まして逢うことは絶対に出来ない。
 このことが彼女には悲しいのであった。
(いっそ江戸へ残ろうかしら?)
 でも一人江戸へ残ったところで、生活《くら》して行くことは出来そうもなかった。
 奉公をすれば奉公先の屋敷へ、体をしばられなければならないし、と云ってまさかに門付などになって、人の家の門へなどは立てそうもなかった。
(わたしには主税様は諦められない)
 月光が霜のように地面を明るめ、彼女の影や植木師たちの影を、長く細く曳いていた。
 荏原屋敷の土塀に添って、なお一行は歩いていた。
 と、土塀を抜きん出て、植込がこんもり茂っていたが、その植込の葉の陰から、何物か躍り出して宙を飛び、お八重の肩へ飛び移った。
「あれッ」とさすがに驚いて、お八重は悲鳴をあげ飛び上ったが、そのお八重の足許の地面へ、お八重の肩から飛び下りた物が、赤いちゃんちゃんこ[#「ちゃんちゃんこ」に傍点]を着た小猿だったので、お八重は驚きを繰り返して叫んだ。
「まア、お前は藤八じゃアないかえ!」
 さよう、それはお葉の飼猿、お八重もよく知っている藤八猿であった。



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