国枝史郎「弓道中祖伝」(03) (きゅうどうちゅうそでん)

国枝史郎「弓道中祖伝」(03)



 書院へ帰って来た日置正次は、あッとばかりに驚かされた。蒔絵の燭台に燈火がともり、食机《おしき》の上に盆鉢《わんばち》が並び、そこに馳走の数々が盛られ、首長の瓶子《へいし》には酒が充たされ、大盞《さかづき》が添えられてあり、それらの前に刺繍を施した茵《しとね》が、重々《あつあつ》と敷かれてあったからである。
「ほう」と正次は声を洩らした。
「これは一体どうしたことだ?」
 しかし直ぐに感づいた。
(さっきの女性《にょしょう》と老人とが、この館に住む人々で、その人々がこの身に対し、心尽くしをしたのであろう)
「忝《かたじ》けのう[#「忝けのう」は底本では「恭けのう」]ござる、頂戴仕《つかまつ》る」
 どこにも人影は見えなかったが、いずれどこかでこっちの進退を、仔細に観察しているだろうと、こんなように考えられたところから、こうつつましく礼を云い、それから瓶子を取り上げて、酒を注ぎ盞を取った。で、悠々と酒を飲み、数々の料理に箸をつけた。その間も館内は寂然としていて、全く人の気勢《けはい》はなく、人家に離れているところから、他に物音も聞こえなかった。充分に腹を養ったため、とみに正次は精気づき、心ものびのびと展《ひろ》がって来た。で、のんびりと部屋を見廻した。
「ほう」とまたも正次は、思わず声を洩らしてしまった。
 見れば背後《うしろ》の床ノ間に、倍実《のぶさね》筆の山水の軸が、大きくいっぱいに掛けられてあり、脇床の棚の上には帙《ちつ》に入れられた、数巻の書が置かれてあり、万事正式の布置であって、驚くことはなかったが、ただ一つだけ床ノ間に、陰陽二張の大弓と、二十四條の箭《や》を納めたところの、調度掛が置いてあったことが、正次の眼を驚かせた。しかも定紋は菊水《きくすい》であった。
「ム――」と何がなしに正次は唸って、調度掛の前へいざり寄った。

 その同じ夜のことであった。異装の武士の大衆が、京の町を小走っていた。人数は三十五人もあったが、いずれも一様に裸体であり、髪は散らして太い縄で、結び目を額に鉢巻し、同じく荒縄を腰に纏い、それへ赤鞏《あかざや》の刀を差し、脚には黒の脛巾《はばき》を穿き、しかも足は跣足《はだし》であった。が、その中のは脛《すね》へばかり、脛当をあてた者があり、又腕へばかり鉄と鎖の、籠手《こて》を嵌めたものがあり、そうかと思うと腰へばかり、草摺《くさずり》を纏った者があった。手に手に持っている獲物といえば、鉞《まさかり》、斧、長柄《ながえ》、弓、熊手、槍、棒などであった。先へ立った数人が松明《たいまつ》を持ち、中央にいる二人の小男が、蛇味線《じゃみせん》を撥《ばち》で弾いていた。
 頭領と見える四十五六の男は、さすがに黒革の鎧を着、鹿角《かづの》[#ルビの「かづの」は底本では「かずの」]を打った冑《かぶと》を冠り、槍を小脇にかい込んでいた。
 この一党は何物なのであろう? いわば野武士と浪人者と、南朝の遺臣の団体《あつまり》なのであった。応仁の大乱はじまって以来、近畿地方は云う迄もなく、諸国の大名小名の間に、栄枯盛衰が行なわれ、国を失った者、城を奪われた者が、枚挙に暇ないほど輩出した。その結果禄に離れた者が夥《おびただ》しいまでに現われた。すなわち野武士浪人が、日本の国中に充ちたのである。それ以前から足利幕府に、伝統的に反抗し、機会さえあったら足利幕府に、一泡吹かせようと潜行的に、策動している南朝方の、多くの武士が諸方にあった。すなわち新田《にった》の残党や、又、北畠《きたばたけ》の残党や、楠氏《なんし》の残党その者達である。で、そういう武士達は、時勢がだんだん逼塞し、生活苦が蔓延するに従い、個人で単独に行動していたのでは、強請《ごうせい》、押借《おしがり》というようなことが、思うように効果があがらなくなったのと、いうところの下剋上《げこくじょう》――下級《した》の者すなわち貧民達が、上流《うえ》の者を凌ぎ侵しても、昔のようには非難されず、かえって正当と見られるような、そういう時勢となったので、そこで多数が団結し、何々党、何々組などと、そういう党名や組名をつけて、※[#「てへん+晉」、第3水準1-84-87]紳《しんしん》の館や富豪の屋敷へ、押借りや強請に出かけて行くことを、生活の方便とするようになった。
 ここへ行く一団もそれであって、「あばら組」という組であり、頭目は自分で南朝の遺臣、しかも楠氏の一族の、恩地左近《おんじさこん》の後統である、恩地雉四郎であると称していたが、その点ばかりは疑わしかったが、剽悍の武士であることは、何らの疑いもないのであった。
 この一団が傍若無人に、それほど夜も更けていないのに、京都の町をざわめきながら、小走りに走って行くのであった。



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