国枝史郎「弓道中祖伝」(06) (きゅうどうちゅうそでん)

国枝史郎「弓道中祖伝」(06)



 自分の部下を目前において、二人まで射倒された雉四郎は、怒りで思慮を失ってしまった。箭に対して刀を構えようとはせず、持っていた槍を引きそばめ、衆の先頭へ走り出た。
「やあ汝《おのれ》よくもよくも、我等の味方を箭先にかけ、二人までも射て取ったな。もはや許さぬ、槍を喰らって、この世をおさらば、往生遂げろ!」
 叫びながら驀進《まっしぐら》に、正次目掛けて走りかかった。
(いよいよ此奴《こやつ》を!)と日置正次、引きしぼり保った十三束三伏《ぞくみつぶせ》、柳葉《やなぎは》の箭先に胸板を狙い、やや間近過ぎると思いながらも、兵《ひょう》ふっ[#「ふっ」に傍点]とばかり切って放した。
 狙いあやまたず胸板を射抜き、本矧《もとはぎ》までも貫いた。
 末期の悲鳴、凄く残し、槍を落とすとドッと背後へ、雉四郎は仆れて死んだ。頭目を討たれたあばら組の余衆、競ってかかる勇気はなく、雉四郎の死骸さえ打ち捨て、ドーッと裏門からなだれ出た。

 半刻《はんとき》あまりも経った頃、正次と篠姫と和田兵庫とが、書院でつつましく話していた。正次の前には三宝に載せた「養由基」の一巻があった。姫から正次へ譲られたものである。「養由基」を譲るに足るような武士を、この館へ幾人となく誘い、弓道をこれまで試みたが、今日までふさわしい人物に逢わず、失望を重ねていたところ、今日になって貴殿とお逢いすることが出来た。「養由基」をお譲りする人物に、うってつけ[#「うってつけ」に傍点]に似つかわしい立派な貴殿に。――こういう意味の事を和田兵庫は云った。
「恩地雉四郎と申す男、決して妾《わらわ》の一族では是無《これな》く、赤松家の不頼の浪人であり、以前から妾に想いを懸け、『養由基』ともども奪い取ろうと、無礼にも心掛けて居りました悪漢、それをお討ち取り下されましたこと、有難きしあわせにござります。今日まで彼の要望《のぞみ》を延ばし、切刃詰まった今日になって、貴郎《あなた》様に討っていただきましたことも、ご縁があったからでござりましょう」
 こういう意味のことを篠姫も云って、助けられたことを喜んだ。
「今後のご起居いかがなされます?」
 こう正次は心配そうに訊いた。
「実は明日大内家より、迎いの人数参りますことに、とり定めある儀にござります。その人数に連れられまして、九州へ妾下向いたします。雉四郎の難題を今日まで、引き延ばして居りましたのもそれがためで、さらに今日一日を引き延ばし、明日になった時難を避け、立ち去る所存でござりました」
 こう篠姫は微笑しながら云った。
「きわどい所でござりましたな、私も日中和田兵庫殿に、お目にかかる事出来ませなんだならば『養由基』のお譲りを受けるという、またとある可《べ》くもない幸運に、外れるところでござりました」
「ご縁があったからでござります」
 鶏《とり》が啼いて明星が消え、朝がすがすがしく訪れて来た時、美々《びび》しく着飾った武士達が多勢、立派な輿を二挺舁ぎ、この館を訪れた。大内家からの迎えであった。
「おさらば」「ご無事で」と別離の挨拶!
 挨拶を交わせて名残惜しそうに篠姫とそうして和田兵庫とは、日置正次と立ち別れた。楠氏の正統篠姫は、翠華漾々平和の国、周防大内家へ行ったのである。

 准南子《えなんじ》ニ曰ク「養由基《ヨウユウキ》楊葉《ヨウヨウ》ヲ射ル、百発百中、楚《ソ》ノ恭王《キョウオウ》猟シテ白猿ヲ見ル、樹ヲ遶《メグ》ッテ箭《ヤ》ヲ避ク、王、由基ニ命ジ之ヲ射シム、由基始メ弓ヲ調ベ矢ヲ矯《タ》ム、猿乃《スナワ》チ樹ヲ抱イテ号《サケ》ブ」
 それ程までに秀でた漢土弓道の大家、その養由基の射法の極意を、完全に記した『養由基』一巻、手写した人は大楠公であった。その養由基を譲り受けて以来、日置弾正正次《へきだんじょうまさつぐ》は、故郷に帰って研鑽百練、日置流の一派を編み出した。これを本朝弓道の中祖、斯界の人々仰がぬ者なく、日置流より出て吉田《よしだ》流あり、竹林《ちくりん》派、雪荷《せっか》派、出雲《いづも》派あり、下って左近右衛門《さこんえもん》派あり、大蔵《おおくら》派、印西《いんざい》派、ことごとく日置流より出て居るという。



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