国枝史郎「郷介法師」(02) (ごうすけほうし)

国枝史郎「郷介法師」(02)



 あまりのことに千利休は全然《すっかり》顔色を失ったが、心配の余り明日《あす》とも云わずその夜の中に御殿へ伺候し強いて秀吉に謁を乞い事の始終を言上した。
 関白秀吉はそれを聞くとしばらく無言で考えて居たが、
「利休、茶碗はくれてやれ」
 余儀なさそうにやがて云った。
「は、遣わすのでござりますか?」
「うん、そうだ、くれてやれ」
「木隠は名器にござります」
「千金の子は盗賊に死せず。こういう格言があるではないか。茶碗一つを惜んだ為、俺《わし》や其方《そち》に怪我があってはそれこそ天下の物笑いだ」
「とは云え殿下のご威光までがそのため損《きず》つきはしますまいか?」
「馬鹿を云え」と秀吉は云った。
「そんな事ぐらいで損つく威光なら、それは本当の威光ではない」
「いよいよ遣わすのでござりますか?」
 まだ利休には未練がある。
「賊に茶碗を望まれて、そいつを俺がくれてやったと知れたら、俺の方が大きく見られる。……それに俺にはその泥棒がちょっと恐くも思われるのだ」
「殿下が賊をお恐れになる?」
 利休はますます吃驚《びっくり》する。
「世間で何が恐ろしいかと云って、我無洒羅《がむしゃら》な奴ほど恐ろしいものはない」
「ははあ、ごもっともに存じます」
 利休は始めて胸に落ちたのである。

 大阪市外阿倍野の夜は陰森として寂しかった。と、数点の松火《たいまつ》の火が、南から北へ通って行く。同勢百人足らずである。それは晩秋深夜のことで寒い嵐がヒュー、ヒューと吹く。斧を担《かつ》ぎ掛矢を荷い、槍薙刀を提《ひっさ》げた様子は将しく強盗の群である。
 行手にあたって十八九の娘がにわかに胸でも苦しくなったのか、枯草の上に倒れていた。夜眼にも美しい娘である。
「や、綺麗な娘ではないか」
「こいつはとんだ好《い》い獲物だ」
「それ誰か引担いで行け」
 盗賊共は大恭悦で娘を手籠めにしようとした。頭目と見えて四十年輩の容貌魁偉の武士がいたが、ニヤニヤ笑って眺めている。娘はヒーッと悲鳴を上げ、逃げようとして※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]《もが》いたが、これは逃げられるものではない。とうとう捉えられて担がれた。
「もうよかろう、さあ行くがいい」
 頭目は笑いながらこう云った。その時、傍の藪陰から一人の老法師が現われた。
「これ少し待て! 何をするか!」
 その法師は声を掛けた。落着き払った態度である。賊共はちょっと驚いて一瞬間《しきり》にわかに静まった。
「俺の娘をどうする意《つもり》だ」
 法師はまたも声を掛けた。嘲笑うような声である。
「これはお前の娘なのか」
 賊の頭目は笑いながら、
「それは気の毒な事をしたな、野郎共娘を返してやれ」
 そこで娘は肩から下され枯草の上へそっと置かれた。
 賊共はガヤガヤ行き過ぎようとする。
「これ少し待て! 礼を知らぬ奴だ!」
 法師は背後《うしろ》から声を掛けた。
「他人《ひと》の娘を手籠めにして置いて謝罪せぬとは何事だ!」
「なるほど、これはもっともだ」
 賊の頭目は苦笑いしたが、
「ご坊、どうしたらよかろうな?」
「仕事の首尾はどうなのかな?」
 あべこべに法師は訊き返した。
「それを訊いてどうするつもりか?」
「金に積ってなんぼ[#「なんぼ」に傍点]稼いだな?」
「たんともない、五千両ばかりよ」
「それだけの人数で五千両か」
「大きな事を云う坊主だ」
「それだけ皆置いて行け」
「何を!」と始めて頭目はその眼にキラキラと殺気を見せたが、
「ははあこいつ狂人《きちがい》だな」
「五千両みんな置いて行け」
 法師は平然と云った。自信に充ちた態度である。嘲笑うような声音である。






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