国枝史郎「郷介法師」(03) (ごうすけほうし)

国枝史郎「郷介法師」(03)



「こいついよいよ狂人だ。俺達を何者と思っているか!」
「俺は知らぬ。知る必要もない」
「一体貴様は何者だ?」
「見られる通りの乞食坊主さ」
「そうではあるまい。そんなはずはない」
 賊の頭目は相手の様子に少なからず興味を感じたらしく、
「名を宣《なの》れ。身分を宣れ」
「俺はな」と法師は物憂そうに、
「幸と云おうか不幸と云おうか、忘れ物をして来たよ」
「忘れ物をした? それは何だ?」
「磔《はりつけ》柱だ。磔柱だよ」
 賊共はにわかにざわめいた[#「ざわめいた」に傍点]。それから森然《しん》と静まった。
 賊の頭目は眼を見張ったが、やがてポンと手を拍った。
「ははあ左様か。そうであったか。磔柱の郷介《ごうすけ》法師か」
「ところでお主《ぬし》何者かな?」
「私《わし》は五右衛門だ。石川五右衛門だ」
 すると今度は法師の方でポンとばかりに手を拍った。
「うん、そうか、無徳《むとく》道人だったか」
「郷介法師、奇遇だな」
「いや、全く奇遇だわえ」
「私はお主に逢いたかった」
「私もお主に逢いたかったものさ」
「で、五千両入用かな?」
「五右衛門と聞いては取られもしまい」
「せっかくのことだ、半金上げよう」
「金には不自由しているよ」
「私の所へ来てはどうか?」
「今どこに住んでいるな?」
「洛外嵯峨野だ。いい所だぞ。……ところでお主はどこにいるな?」
「私は雲水だ。宿はない」
「私の所へ来てはどうか?」
「まあやめよう。恐いからな」
「ナニ恐い? 何が恐い?」
「恐いというのは秀吉の事さ」
「成り上り者の猿面冠者か」
「私はあいつから茶碗を貰った」
「それが一体どうした事だ」
「そこで恐くなったのさ」
「何の事だか解《わか》らないな」
「彼奴《きゃつ》、殿下にもなれるはずだ。底の知れない大腹中だ。で私は立ち退く意《つもり》だ。そうだよ近畿地方をな」
「なんだ、馬鹿な、郷介程の者が、あんな者を恐れるとは恥かしいではないか!」
「その中お主にも思い当たろう」
「私は彼奴《あいつ》をやっつける意だ」
「悪いことは云わぬ、それだけは止めろ」
「私はある方に頼まれているのだ」
「はて誰かな? 家康かな?」
「いいや違う。狸爺ではない」
「およそ解《わか》った、秀次だろう?」
「誰でもいい。云うことは出来ぬ」
「止めるがいい。失敗するぞよ。彼奴用心深いからな」
 五右衛門は娘をチラリと見たが、
「好い娘だな。別嬪だな。月姫殿の遺児《わすれがたみ》かな?」
「うん」と云うと郷介法師は始めて悲しそうな顔をした。
「この娘も本当に可哀そうだ」
「ではどうでも立ち退くつもりか?」
「うん、どうでも立ち退くよ」
「旅費はどうかな? 少し進ぜよう」
「私には五万両の貸がある」
「え、五万両? 誰に貸したのか?」
「堺の魚屋利右衛門へな」
「それではこれでお別れか」
「行雲流水、どれ行こうか」
 そこで二人は別れたのである。

 関白秀吉を恐れさせ一世の強盗五右衛門をして、兄事させた所の郷介法師とは、いかなる身分の大盗であろうか?
 歴史にもなく伝説にもないこの不思議の大盗賊について、書き記してある書物と云えば、「緑林黒白《りょくりんこくびゃく》」一冊しかない。
 で作者《わたし》はその書に憑據し、この大盗の生い立ちを左に一通り述べることにしよう。






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