国枝史郎「名人地獄」(100) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(099)

    光風霽月大団円

「『ははあこいつが噂に高い、辻斬り強盗の張本だな』と、私は突嗟《とっさ》に思いましたが、よい気持ちはいたしませんでした。で、自然と右の手が、懐中へ忍ばせた手裏剣へ、つと走ったものでございます。すると突然妹のお霜が、千切れるような声を上げ、私の袖をグイグイと、三度引くではございませんか! 『うん』と私は呻きました。合図だったからでございます。……富士甚内を目っけたら、三度袖を引くようにと、教え込んで置いたからでございます。素早《すばや》くこいつが敵かと、躍り立った一刹那《せつな》『亡霊追分、正体見た! 二つになれ!』とその武士が、サッと斬り込んで参りました。その太刀風の物凄さ、なんで私に避けられましょう。真っ二つにされた筈でございます。ワッ、やられた! と叫びながら、足もとを見ると妹のお霜が、真《ま》っ向《こう》から胸板まで、切り割られて仆れておりました。身代りになったのでございます。私をかばう一心から、飛び込んで来たのでございます。可哀そうなことをいたしました。でも妹はああいう片輪《かたわ》、なまじ活きておりますより、死んだ方がよかったかもしれません。いえいえそんなことはございません。やっぱり活きておりましたら、何彼《なにか》につけて頼みにもなり、嬉しいことも楽しいことも、分け合うことが出来ますのに。……可哀そうなことをいたしました。もう取り返しがつきません。でも妹が死んでくれたため、私は敵《かたき》の第一の太刀を、避けることが出来ました。そうして敵が第二の太刀を、私に向けて来ました時には、もう私は二間のあなた[#「あなた」に傍点]に、飛びしさっていたのでございます。もうこうなればこっちのもの、ビューッと繰り出した釘手裏剣、狙いたがわず敵の右眼へ、叩き込んだものでございます。これは全く敵にとっては、予期しなかったことでございましょう。アッと叫ぶとヨロヨロと、桜の老木へ寄りかかりました。そこを狙ってもう一本、左眼へぶち込んだものでございます。これで勝負はつきました。敵は盲目《めくら》になりましたので。そこで初めて私は、宣《なの》りを上げたものでございます。『富士甚内よっく聞け、俺は汝《おのれ》に殺された馬方甚三の実の弟、追分産まれの浅間甚内だ! 兄の敵妹の仇、思い知ったかこん畜生め! 口惜しくば立ち上がってかかって来い! どうだどうだ富士甚内!』……敵は身顫いをいたしました。動くことは出来ません。そこで私は止どめとして三本目の釘を投げつけて、咽喉《のど》を貫いたのでございます。それから妹を肩へかけ、帰って参ったのでございます。……聞けばお北もあの家で、首を縊《くく》ったと申すこと。因果応報なのでございましょう。恨みはこれで晴れました。ああいい気持ちでございます。でも寂しゅうございます。一人ぼっちでございますもの。……お手数恐縮ではございますが、どうか私を召し連れて、お上《かみ》へお訴えくださいますよう。人殺しをしたのでございます。兄の敵とはいいながら、武士を殺したのでございます。おしおきになりとうございます」
 周作が甚内を召し連れて、西町奉行[#「西町奉行」はママ]へ訴えたのは、その翌日のことであった。
 そこで奉行は取り調べた。敵討《かたきう》ちに相違なく、それに相手の富士甚内は、辻斬りの張本というところから、甚内はかえって賞美され、なんのお咎めも蒙らなかった。
 喜んだのは周作で、甚内を屋敷へ引き取るや、今後の方針を訊ねてみた。
「追分へ帰りとう存じます。故郷はよい所でございます。兄の墓場もございますし、妹お霜も同じ土地へ、葬ってやりとう存じます。そうして私は追分で、兄の代りに馬を追い、馬子で暮らしとう存じます」
 これが甚内の意志であった。
 そこで周作もそれに同じ、諸方から集まった同情金へ、さらに周作が金を足し、門弟達にも餞別を出させ、三百両の大金とし、これを甚内へ送ることにした。
 江戸で需《もと》めた馬の前輪《まえわ》へ、妹お霜の骨をつけ、
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信州出た時ゃ涙で出たが
今じゃ信州の風もいや
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 それとは反対の心持ち――その信州の風を慕い、江戸を立ってふるさとの、追分宿へ向かったのは、それから一月の後であった。
 こうして江戸の人々は、信州本場の追分を、永久聞くことが出来なくなったが、その代り恐ろしい辻斬りからは、首尾よく遁《の》がれることが出来た。で、私の物語りも、この辺で幕を下ろすことにしよう。






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