国枝史郎「岷山の隠士」(2) (みんざんのいんし)


国枝史郎「岷山の隠士」(2)



「どうしたら金が溜まりましょう?」
「働いて溜めるより仕方がない」
「その癖先生はお見受けする所、ちっとも働かないじゃありませんか」
「うん、どうやらそんな格好だな」
「働かないで溜める方法は?」
「よくこの次までに考えて置こう」
 一向張り合いのない挨拶であった。
「どうしたら長命が出来ましょう」
「いろいろ方法があるらしい」
「それをお教え下さいませんか」
「俺には解っていないのだよ」
「物の本で読みました所、内丹説、外丹説、いろいろあるようでございますね。枹木子《ほうぼくし》などを読みますと」
「ほほう、それではお前の方が学者だ。ひとつ俺へ話してくれ」
 李白これには閉口してしまった。
 ある日東巖子が李白へ云った。
「天とは一体どんなものだろう?」
「ははあこの俺を験《ため》す気だな」
 すぐに李白はこう思った。
「道教の方で申しますと、天は百神の君だそうで、上帝、旻天《びんてん》、皇天などとも、皇天上帝、旻天上帝、維皇上帝、天帝などとも、名付けるそうでございますが、意味は同じだと存じます。天は唯一絶対ですが、その功用は水火木金土、その気候は春夏秋冬、日月星辰《じつげつせいしん》を引き連れて、風師雨師《ふうしうし》を支配するものと、私はこんなように承《うけたま》わって居ります」
「ふうん、大変むずかしいんだな。俺にはそんなようには思われないよ。色が蒼くて真丸《まんまる》で、その端が地の上へ垂れ下っている。こんなようにしか思われないがな」
 これには李白もギャフンと参った。
「地についてはどう思うな?」
 これは浮雲《あぶな》いと思いながらも、真面目に答えざるを得なかった。
「地は万物の母であって、人畜魚虫山川草木、これに産れこれに死し、王者の最も尊敬するもの、冬至の日をもって方沢《ほうたく》に祭ると、こう書物で読みましたが」
「お前の云うことはむずかしいなあ。俺にはそんなようには見えないよ。変な色の、変に凸凹した、穢ならしいものにしか見えないがね」
 これにも李白は一言もなかった。
「お前は人の性をどう思うね?」
「はい、孔子に由る時は、『人之性直《ひとのせいちょく》。罔之生也《これをくらますはせいなり》。幸而免《さいわいにまぬかれよ》』こうあったように思われます。しかし孟子は性善を唱え、荀子は性悪を唱えました。だが告子は性可能説を唱え、又|楊雄《ようゆう》、韓兪《かんゆ》等は、混合説を唱えましたそうで」
「だがそいつは他人の説で、お前の説ではないじゃアないか」
「あっ、さようでございましたね」
「で、お前はどう思うのだ?」
「さあ、私には解《わか》りません」
「解るように考えるがいい」
「あの、先生にはどう思われますので?」
「俺か、俺はな、そんなつまらない[#「つまらない」に傍点]事は、考えない方がいいと思うのさ。形而上学的思弁といって、浮世を小うるさく[#「うるさく」に傍点]するものだからな」
 これには李白は何となく、教えられたような気持がした。
「不味《まず》[#ルビの「まず」は底本では「まづ」]い物ばかり食っていると、肉放れがして痩せてしまう。美味《うまい》物を食え美味物を」
 こう口では云いながら、稗《ひえ》だの粟《あわ》だの黍《きび》だのを、東巖子は平気で食うのであった。
「綺麗な衣裳《きもの》を着るがいい。そうでないと他人《ひと》に馬鹿にされる」
 こう云いながら東巖子は、一年を通してたった[#「たった」に傍点]一枚の、穢い道服を着通すのであった。
「出世をしろよ、出世をしろよ、いい主人を目つけてな」
 こう云いながら東巖子は、山から出ようとはしないのであった。
 彼は言行不一致であった。
 それがかえって偉かった。
 彼は盛んに逆理を用いた。
 李白は次第に感化された。※[#「にんべん+蜩のつくり」、第4水準2-1-59]儻不羈《てきとうふき》の精神が、軽快洒脱[#「洒脱」は底本では「酒脱」]の精神に変った。
 ある日突然東巖子が云った。
「お前は山川をどう思うな?」
「山は土の盛り上ったもの、川は水の流れるもの、私にはこんなように思われます」
「さあさあお前は卒業した。山を出て世の中へ行くがいい」
 ――で、翌日|岷山《みんざん》を出た。




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