国枝史郎「名人地獄」(012) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(12)

    寂しい寂しい別離の歌

 すると銀之丞は顔を上げたが、「お前のような町人にも、鼓の善悪《よしあし》がわかるかな。いったいどこがよいと思うな?」ちょっと興味を感じたらしく、こうまじめにきいたものである。
 すると商人《あきゅうど》は困ったように、小鬢《こびん》のあたりへ手をやったが、「へいへい、いやもうとんでもないことで、どこがよいのかしこがよいのと、さようなことはわかりませんが、しかし名器と申しますものは、ただ一見致しましただけでも、いうにいわれぬ品位があり、このもしい物でございます」「何んだ詰まらない、それだけか」
 銀之丞はまたもゴロリと寝た。そそられかかったわずかな興味も、商人の平凡な答えによって、忽ち冷めてしまったらしい。無感激の眼つきをして、ぼんやり天井を眺め出した。
「いえそればかりではございません」商人は一膝進めたが、「家内中評判でございます。いえもうこれは本当の事で」「何、評判? 何が評判だ?」「はいその旦那様のお鼓が」「盲目千人に何が判《わか》る」「そうおっしゃられればそれまでですが、一度お鼓が鳴り出しますと、三味線、太鼓、四つ竹までが、一時に音色をとめてしまって、それこそ家中呼吸《いき》を殺し、聞き惚れるのでございますよ」
「有難迷惑という奴さな。信州あたりの山猿に、江戸の鼓が何んでわかる」かえって銀之丞は不機嫌であった。
「町人町人、千三屋、その男にはさわらぬがよい」
 見かねて造酒が取りなした。「その男は病人だ。狂犬病という奴でな、むやみに誰にでもくってかかる。アッハハハハ、困った病気だ。それよりどうだ碁でも囲《かこ》もうか」「これは結構でございますな。ひとつお相手致しましょう」
 そこで二人は碁を初めた。平手造酒も弱かったが商人も負けずに弱かった。下手《へた》同志の弱碁《よわご》と来ては、興味津々たるものである。二人はすっかりむちゅうになった。

 甚三甚内の兄弟の上へ、おさらば[#「おさらば」に傍点]の日がやって来たのは、それから間もなくの事であった。その朝は靄《もや》が深かった。甚三の馬へ甚内が乗り、それを甚三が追いながら、追分の宿を旅立った。宿の人々はまだ覚めず家々の雨戸も鎖《と》ざされていた。宿の外れに立っているのは、有名な桝形《ますがた》の茶屋であったがそこの雨戸も鎖ざされていた。そこを右すれば中仙道、また左すれば北国街道で、石標《いしぶみ》の立った分岐点を、二人の兄弟は右に取り、中仙道を歩《あゆ》ませた。宿を出ると峠道で、朝陽出ぬ間の露の玉が木にも草にも置かれていた。夜明け前の暁風に、はためく物は芒《すすき》の穂で、行くなと招いているようであった。
「せめて関所の茶屋までも」と、甚三の好きな追分節の、その関所の前まで来ると、二人は無言で佇《たたず》んだ。「あにき、お願いだ、唄ってくれ」「おいら[#「おいら」に傍点]は今日は悲しくて、どうにも声が出そうもねえ」「そういわずと唄ってくれ、今日別れていつ会うやら、いつまた歌が聞けるやら、こいつを思うと寂しくてならぬ。別れの歌だ唄ってくれ」
「うん」というと甚三は、声張り上げて唄い出した。草茫々たる碓井峠《うすいとうげ》、彼方《あなた》に関所が立っていた。眼の下を見れば山脈《やまなみ》で、故郷の追分も見え解《わか》ぬ。朝陽は高く空に昇り、きょうも一日晴天だと、空にも地にも鳥が啼き、草蒸《くさいき》れの高い日であったが、甚三の唄う追分は、いつもほどには精彩がなく、咽《むせ》ぶがような顫《ふる》え声が、低く低く草を這い、風に攫《さら》われて消えて行った。

 弟と別れた甚三が、空馬を曳いて帰りかけた時、
「馬子!」とうしろから呼ぶ者があった。振り返って見ると旅の武士が、編笠を傾けて立っていた。けんかたばみ[#「けんかたばみ」に傍点]の紋服に、浮き織りの野袴を裾短かに穿き、金銀ちりばめた大小を、そりだか[#「そりだか」に傍点]に差した人品は、旗本衆の遊山旅《ゆさんたび》か、千石以上の若殿の、気随の微行とも想われたが、それにしてはお供がない。





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