国枝史郎「名人地獄」(022) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(22)

    二人の虚無僧《こむそう》の物語

 そこは玻璃窓の平八であった。あの時の鼓とこの鼓賊とが、関係あるものと直覚した。「よしよし今度こそはのがさぬぞ」堅く心に誓いながら、鼓賊の詮議に着手したが、いわゆる今日での科学的捜索それを尊ぶ彼であったから、むやみと蠢動《しゅんどう》するのをやめ、理詰めで行こうと決心した。
「賊と鼓? 賊と鼓? この二つの間には、何らか関係がなくてはならない」まずここから初めたものである。で彼は何より先に、鼓に関する古い文献を、多方面に渡って調べたが、鼓と賊との関係について、記録したものは見つからなかった。そこで今度は方面を変え、鼓造り師や囃《はや》し方や、鼓の名人といわれている、色々の人を訪問し、この問題について尋ねたが、やはり少しも得るところがなかった。
「昔の有名な大盗で鼓を利用したというようなものは、どうも一向聞きませんな」誰の答えもこうであった。
「一人ぐらいはございましょう!」平八が押してたずねても、知らないものは知らないのであった。
「残念ながらこれは駄目だ」平八老人は失望したものの、
「小梅で聞いた鼓の音、何んともいえず美音であったが、いずれ名器に相違あるまい。それを鼓賊が持っているとすると、盗んだものに違いない。よしよしこいつから調べてやろう」
 また訪問をやり出した。鼓造り師、囃し方、鼓の名人といわれる人、各流能楽の家元《いえもと》から、音楽ずきの物持ち長者、骨董商《こっとうしょう》というような所を、根気よく万遍《まんべん》なく経《へ》めぐって「鼓をご紛失ではござらぬかな?」こういって尋ねたものである。
 しかるに麹町《こうじまち》土手三番町、観世宗家の伯父にあたる、同姓信行の屋敷まで来た時、彼の労は酬いられた。嫡子銀之丞が家に伝わる、少納言の鼓を信州追分で、紛失したというのであった。
「まず有難い」と喜んで、その銀之丞へ面会をもとめ、当時の様子をきこうとした。銀之丞は会いは会ったものの、盗難については冷淡であった。はかばかしく模様も語らなかった。
「これとあなたがご覧になって、怪しく思われた人間が、多少はあったでございましょうな?」
「さよう」といったが銀之丞は、例の物うい表情で、
「一人二人はありましたが、罪の疑わしきは咎めずといいます、お話しすることは出来ませんな」
 こうにべもなくいい切ってしまった。どこに取りつくすべもない。これが役付きの与力なら、押してきくことは出来るのであるが、今は役を退《の》いた平八であった。どうすることも出来なかった。「それにしても変った性質だな」こう思って平八は、つくづく相手の顔を見た。さすがは名門の嫡子である、それに一流の芸術家、銀之丞の姿は高朗として、犯しがたく思われた。
「これで三番手も破れたという訳だ」平八老人は観世家を辞し、本所の自宅へ帰りながら、さびしそうに心でつぶやいた。「さてこれからどうしたものだ。……どうにもこうにも手が出ない。これまで通り江戸市中を、あるき廻るより策はない。いや我ながら智慧のない話さ。むしゃくしゃするなあ、浅草へでも行こう」
 で平八は足を返し、浅草の方へ歩いて行った。
 いつも賑やかな浅草はその日もひどく賑わっていた。奥山を廻って観音堂へ出、階段を上《のぼ》って拝《はい》を済まし、戻ろうとしたその時であった、そこに立っていた虚無僧《こむそう》の話が平八の好奇心を引き付けた。
「小さいご本尊に大きい御堂《みどう》、これには不思議はないとしても、この浅草の観音堂と信州長野の善光寺とは、特にそれが著しいな」こういったのは年嵩《としかさ》の方で、どうやら階級も上らしい。「わしは善光寺は不案内だが、そんなに御堂は大きいかな」年下の虚無僧がきき返した。
「観音堂よりはまだ大きい。一周《まわ》りももっとも大きいかな」「それは随分大きなものだな」「そうだ、あれは一昨年だった、わしは深夜ただ一人で、その善光寺の廻廊に立って、尺八を吹いたことがある。なんともいえずいい気持ちだった。まるで音色《ねいろ》が異《ちが》って聞こえた」「ナニ尺八のねいろが異った? ふうむ、それは何故だろうな?」「善光寺本堂の天井に、金塊が釣るしてあるからだ」「ナニ金塊が釣るしてある?」「さよう金塊が釣るしてある。つまり火災に遭《あ》った時など、改めて建立しなければならない。その時の費用にするために、随分昔から黄金《きん》の延棒《のべぼう》が、天井に大切に釣るしてあるのだ」「これは私《わし》には初耳だ」「ところで楽器というものは、分けても笛と鼓とはだな、黄金《おうごん》の気を感じ易い。名器になれば名器になるほど、黄金の気を強く感じ、必ずねいろが変化する。つまり一層微妙になるのだ。で鉱脈《こうみゃく》を探る時など、よく鉱山《かなやま》の山師などは、笛か鼓を持って行って、それを奏して金の有無《うむ》を、うまく中《あ》てるということだよ」
 黙って聞いていた平八は、思わずこの時膝を打った。「やれ有難い、いい事を聞いた。これで事情が大略《あらかた》解った。ははあなるほどそうであったか。鼓賊と呼ばれるその泥棒が、少納言の鼓を奪い取ったのは、その鼓を奏する事によって、目星をつけた家々の、金の有無《ありなし》を知るためだったのか。盗みも進歩したものだな。……よしよしここまで見当がつけば、後はほんの一息だ。きっと間違いなく捕えて見せる」
 踏む足も軽くいそいそと、本所業平《なりひら》町一丁目の、自分の家へ帰って行った。





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