国枝史郎「名人地獄」(033) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(33)

    流名取り上げ破門の宣言《せんこく》[#「宣言《せんこく》」はママ]

「ナニ、それほどの事でもない」みすぼらしい侍は笑ったが、「実をいえばお言葉通り、世間物騒のおりからといい、かような深夜の一人歩きは、好ましいことではござらぬが、実は拙者は余儀ない理由で、物を尋ねているのでな」
「ははあさようでござるかな。して何をお尋ねかな?」
「ちと変った尋ねものでござる」
「お差し支えなくばお明かしを」
「いやそれはなりませぬ」
「さようでござるかな、やむを得ませぬ。……実はな、拙者もそこもとと同じく、物を尋ねておるのでござるよ。ちと変った尋ねものをな」
「似たような境遇があればあるものだ」
「さよう似たような境遇でござる」
 二人はそっと笑い合った。
「ご免くだされ」「ご免くだされ」事もなく二人は別れたものである。
 で、老武士はゆるゆると、不忍池《しのばずのいけ》に沿いながら、北の方へあるいて行った。二町余りもあるいたであろうか、彼は杭《くい》のように突っ立った。
「聞こえる聞こえる鼓の音が!」
 果然鼓の音がした。ポンポン、ポンポン、ポンポンと、微妙極まる音であった。
「うむ、とうとう見つけたぞ! 今度こそは逃がしはせぬ! 小梅で聞いた鼓の音! おのれ鼓賊! こっちのものだ!」
 音を慕って老武士は、松平出雲守の邸の方へ、脱兎のように走って行った。
 これとちょうど同じ時刻に、例のみすぼらしい侍は、黒門町を歩いていたが、何か考えていると見えて、その顔は深く沈んでいた。
 と、行く手の闇の中へ、二つの人影が現われたが、しずしずとこっちへ近寄って来た。登場人物の三人目と、登場人物の四人目であった。近付くままによく見ると、ふたりながら武士であった。
 双方ゆるゆる行き過ぎようとした。とたんに事件が勃発した。
 と云うのはほかでもない。行き過ぎようとした刹那、その三番目の登場人物が、声も掛けず抜き打ちに、みすぼらしい侍へ切り付けたのであった。その太刀風の鋭いこと、闇をつんざいて紫電一条斜めに走ると思われたが、はたしてアッという悲鳴が聞こえた。しかし見れば意外にも、切り込んで行った武士の方が、大地の上に倒れていた。そうしてみすぼらしい侍が、その上を膝で抑えていた。驚いた四番目の登場人物が、すかさず颯《さっ》と切り込んで行ったが、咄嗟《とっさ》に掛かった真の気合い、カーッという恐ろしい声に打たれ、タジタジと二、三歩後へ退った。間髪を入れず息抜き気合い、エイ! という声がまた掛かった。と四番目の人物は、バッタリ大地へ膝をついた。この間わずかに一分であった。後は森然《しん》と静かであった。と、みすぼらしい侍は、膝を起こして立ち上がったが、それからポンポンと塵を払うと、憐れむような含み声で、
「殺人剣活人剣、このけじめさえ解らぬような、言語に絶えた大馬鹿者、天に代って成敗しようか。いやそれさえ刀の穢れ、このまま見遁がしてやるほどに、好きな所へ行きおろう。……但し、北辰一刀流は、今日限り取り上げる。師弟の誼《よし》みももうこれまで、千葉道場はもちろん破門、立ち廻らば用捨《ようしゃ》せぬぞ」
 そのままシトシトと行き過ぎてしまった。実に堂々たる態度であった。二人の武士は一言もなく、そのあとを見送るばかりであった。
 と、一人が吐息《といき》をした。「オイ観世、ひどい目にあったな?」
「大先生とは知らなかった。平手、これからどうするな?」
「うむ」といって思案したが、「いい機会だ、旅へ出よう。そうして一修行することにしよう」
「武者修行か、それもいいな。ではおれもそういうことにしよう。但しおれは剣はやめだ。おれはおれの本職へ帰る。能役者としての本職へな」






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