国枝史郎「名人地獄」(042) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(42)

    厳重を極めた別荘普請

「だがお前の主人というのは、いったいどこに住んでるのか?」
「お前さんそいつを知らねえのか」
「知らないとも、知る訳がない」
「だが、やしきは知ってる筈だ」
「お前の主人のやしきをな?」
「うんそうさ、有名だからな」
「いいや、おれはちっとも知らない」
「そんな筈はねえ、きっと知ってる」
「おかしいな。おれは知らないよ」
「獅子ヶ岩から半町北だ」
「獅子ヶ岩から半町北と?」
「近来《ちかごろ》普請に取りかかったやしきだ」
「や、それじゃ『主《ぬし》知らずの別荘』か?」
「そうれ、ちゃアんと知ってるでねえか」
「その別荘なら知ってるとも」
「それがおれの主人の巣だ」
「ふうん、そうか。やっと解った」
「随分有名な邸《やしき》だろうが?」
「銚子中で評判の邸だ」
「それがおれの主人の邸だ」
「そこでお前にきくことがある。何んと思ってあんな普請をした?」
「あんな普請とはどんな普請だ?」
「まるで砦《とりで》の構えではないか」
「…………」
「厚い石垣、高い土塀、たとえ大砲を打ちかけても、壊れそうもない厳重な門、海水をたたえた深い堀、上げ下げ自由な鉄の釣り橋、え、オイまるで砦じゃないか」
「おれの知ったことじゃねえ」
「で、主人はいつ来たのだ?」
「うん、主人はずっと以前《まえ》からよ……そうさ今から二月ほど前から、こっそりあそこへ来ているんだ」
「ほほう、そうか、それは知らなかった」
「ところが他のご家族達も、二、三日中には越して来るのだ」
「それで家族は多いのか?」
「うん、奥様とお嬢様と、坊様と召使い達だ」
「では『主知らずの別荘』が、いよいよ主を迎えた訳だな」
「そうかもしれねえ。うん、そうだ」
「ところで主人の身分は何んだ?」
「主人の身分か? 主人の身分はな……いやおれは何んにも知らねえ」
「ははあ隠《かく》すつもりだな」
「おれは何んにも知らねえよ」
「で、お嬢様は別嬪《べっぴん》かな?」
「おれは何んにも知らねえよ」
「いよいよ隠すつもりだな」
「おれはちっとばかりしゃべり過ぎたからな」
「ところでお前は何者だな?」
「おれは何んにも知らねえよ」
「ふざけちゃいけない、馬鹿なことをいうな」
「ああおれか、別荘番だよ」
「うん、そうか、別荘番か。『主知らずの別荘』の別荘番だな」
「別荘番の丑松《うしまつ》ってんだ」
「噂は以前から聞いていたよ」
「おれは銚子では名高いんだからな」
「そうだ、お前は名高いよ。『主知らずの別荘』と同じにな」
「ところでお前さん、何者だね?」
「おれか、おれは能役者だ」
「ああ役者か、何んだ詰まらねえ」
「口の悪い奴だ。詰まらねえとは何んだ」






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