国枝史郎「名人地獄」(045) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(45)

    紙つぶてに書かれた「あ」の一字

「どう遊ばして、銀之丞様」
 お品が不足そうに声をかけた。「考え込んでおりますのね」
「や、そんなように見えますかな」
「お菓子を半分食べかけたまま、手に持っておいでではありませんか」
「これはこれは、どうしたことだ」
「どうしたことでございますやら」
「おおわかった、これはこうだ」テレ隠しにわざと笑い、「あんまりお品さんが可愛いので、それで見とれていた次第さ」
「お気の毒様でございますこと」
「ナニ気の毒? なぜでござるな?」
「なぜと申してもあなた様のお目は、わたしの顔などご覧なされず、さっきからお庭の石燈籠ばかり、ご覧になっているではございませんか」
「いや、それには訳がある」
「なんの訳などございますものか」
「なかなかもってそうでない。すべて燈籠の据え方には、造庭上の故実があって、それがなかなかむずかしい」
「おやおや話がそれますこと」
「冷《ひや》かしてはいけないまずお聞き、ところでそこにある石燈籠、ちとその据え方が違っている」
「オヤさようでございますか」いつかお品はひき込まれてしまった。
「茶の湯、活花、造庭術、風雅の道というものは、皆これ仏教から来ているのだ」
「まあ、さようでございますか」
「ところが中頃その中へ、武術の道が加わって、大分作法がむずかしくなった」
「まあ、さようでございますか」お品は益※[#二の字点、1-2-22]熱心になった。
「で、そこにある石燈籠だが、これはこの室《へや》と枝折戸《しおりど》との、真ん中に置くのが本格なのだ」
「どういう訳でございましょう?」
「門の外から室の様子を、見られまいための防禦物《ぼうぎょぶつ》だからで、横へ逸《そ》れては目的に合わぬ。ところがこれは逸れている。室の様子がまる見えだ」
「そういえばまる見えでございますね」
 お品はすっかり感心して、銀之丞の話に耳傾けた。
 それが銀之丞には面白かった。もちろん彼の説などは、拠《よ》りどころのない駄法螺《だぼら》なので、それをいかにももっともらしく、真顔《まがお》を作って話すというのは、どうやらお品に弱点を握られ、今にもそこへさわられそうなのが、気恥ずかしく思われたからであった。つまりいい加減の出鱈目《でたらめ》をいって、話を逸《そ》らそうとするのであった。
「だから」と銀之丞はいよいよ真面目《まじめ》に、「もしもここに敵があって、この部屋の主人を討とうとして、あの枝折戸の向こうから、鉄砲か矢を放したとしたら、ここの主人はひとたまりもなく、討たれてしまうに相違ない。すなわち防禦物の石燈籠が、横へ逸れているからだ」
「ほんにさようでございますね」
「しかるによって……」
 といよいよ図に乗り、喋舌《しゃべ》り続けようとした銀之丞は、にわかにこの時「あッ」と叫び、グイと右手を宙へ上げた。間髪を入れずとんで来たのは、紙を巻いたいしつぶて! さすがは武道にも勝れた彼、危いところで受けとめた。
「あれ」
 と驚くお品を制し、銀之丞は紙をクルクルと解いた。
 と、紙面にはただ一字「あ」という文字が記されてあった。






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