国枝史郎「名人地獄」(064) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(64)

    鋭利をきわめた五寸釘の手裏剣

「あッあッあッ、あッあッあッ」
「おおよしよし、解った、解った」
「あッあッあッ、あッあッあッ」
「もういいもういい、解った解った。あッハハハハ、びっくりしていやがる。いや驚くのがあたりめえだ。信州追分とは違うからな。名に負う将軍お膝元、八百万石のお城下だからな。土一升金一升、お江戸と来たひにゃア豪勢なものさ。しかも盛り場の両国詰め、どうだいマアマアこの人出は! ペンペンドンドンピーヒャラピーヒャラ、三味線太鼓に笛の音、いや全く景気がいいなあ。ははあ、あいつは女相撲《ずもう》だな。こっちの小屋掛けは軽業《かるわざ》一座。ええとあれは山雀《やまがら》の芸当、それからこいつは徳蔵手品、いやどうも全盛だなあ」「あッあッあッ。あッあッあッ」「うんよしよし、解った解った、あんまりあッあッといわねえがいい。人様がお笑いなさるじゃねえか。きりょうは結構可愛いのに、ふふんなアんだ唖娘《おしむすめ》か、こういってお笑いなさるからな」「あッあッあッ、あッあッあッ」「あれまたあッあッていやアがる。あッハハハ、どうも仕方がねえ。じゃ勝手にいうがいいさ。いう方がこいつ本当かも知れねえ。追分宿からポッと出の、きょうきのう江戸へ来たんだからな。見る物聞く物といいてえが、お前は唖だから聞くことは出来ねえ。そこで見る物見る物だが、その見る物見る物が、珍しいなあ無理はねえ。うん、精々いうがいい。あッあッあッていうがいい」
 こんなことをいいながら、雪解けでぬかる往来を、ノッソリノッソリやって来たのは、甚三の弟の甚内と、その妹のお霜とであった。
 ここは両国の盛り場で、興行物もあれば茶屋もあり、武士も通れば町人も通り、そうかと思えばおのぼりさんも通る。色と匂いと音楽と、……雑沓と歓楽との場であって、大概変梃《へんてこ》な田舎者でも、ここではたいして目立たなかった。
 急にお霜が立ち止まり、じっと一点を見詰め出したので、甚内も連れて立ち止まった。
「どうしたどうした、え、お霜、オヤ何か見ているな。ははあ芝居の看板か」
 坂東米八の掛け小屋が、旗や幟《のぼり》で飾られて、素晴らしい景気を呼んでいたが、そこに懸けられた、絵看板に、宿場女郎らしい美女の姿が、極彩色《ごくさいしき》で描かれていた。その顔の辺へお霜の眼が、しっかり食いついて離れない。
「奇態だな、見たような顔だ」
 呟きながら甚内も、その絵看板へ見入ったが、思わずポンと膝を叩いた。
「ううん、こいつア油屋お北だ!」
 兄甚三を殺害した、富士甚内と油屋お北、そのお北に看板の絵が、そっくりそのままだということは、それら二人を敵《かたき》と狙う、甚内兄妹の身にとっては、驚くべき発見といわざるを得ない。
 しばらく見詰めていた甚内の眼へ、一抹の殺気の漂ったのは、当然なことといわなければならない。「チェ」と彼は舌打ちをした。「看板にゃ罪はねえ。が、お北にゃ怨みがある。幸か不幸か看板の絵が、こうもお北に似ているからにゃ、こいつうっちゃっちゃ[#「うっちゃっちゃ」に傍点]置けねえなあ」
 彼はあたりを見廻した。人通りは繁かったが、彼ら二人を見ている者はない。木戸に番人は坐っているものの、これまた二人などに注意してはいない。
「イラハイイラハイ、今が初まり、名人地獄、鼓賊伝、イラハイイラハイ、今が初まり!」大声でまねいているばかりであった。
「よし」というと甚内は、右手で懐中をソロソロと探った。そうしてその手がひき抜かれた時には、五寸釘が握られていた。ヤッともエイとも掛け声なしに、肩の辺で手首が閃めいたとたん、物をつん裂く音がした。
「態《ざま》ア見やがれ」と捨てゼリフ、甚内はお霜の手を曳くと、橋を渡って姿を消した。
 いったい何をしたのだろう? 絵看板を見るがいい。宿場女郎の立ち姿の、その右の眼が突き抜かれていた。それも尋常な抜き方ではない。看板を貫いたその余勢で、掛け小屋の板壁を貫いていた。小柄を投げてもこうはいかない。






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