国枝史郎「名人地獄」(068) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(68)

    復讐の念いよいよ堅し

 そこで周作に暇を乞い、故郷の追分へ帰ることにした。
 この頃お霜は油屋にいた。
 一人の兄は非業《ひごう》に死し、もう一人の兄は他国へ行き、二、三親類はあるとはいえ、その日ぐらしの貧乏人で、片輪のお霜を引き取って、世話をしようという者はない。で甚三が殺されてからの、お霜の身の上というものは、まことに憐れなものであったが、捨てる神あれば助ける神ありで、油屋本陣の女中頭、剽軽者《ひょうきんもの》の例のお杉が、気の毒がって手もとへ引き取り、台所などを手伝わせて、可愛がって養ったので、かつえ[#「かつえ」に傍点]て死ぬというような、そんな境遇にはいなかったが、さりとて楽しい境遇でもなかった。自分はといえば唖者《おし》であった。周囲といえば他人ばかり、泣く日の方が多かった。自然兄弟を恋い慕った。
 そこへ甚内が現われたのであった。
 お霜の喜びも大きかったが、お杉もホッと安心した。
「おお甚内さん、よう戻られたな。お前さんの兄さんの甚三さんは、お前さんと同じ名の富士甚内に、むごたらしい目に合わされてな、今は石塔になっておられる」
 お杉をはじめ近所の人達に、こんな具合に話し出されて、甚内は悲しみと怨みとを、またそこで新たにした。
 貧しい二、三の親類や、近所の人達の情《なさけ》によって、営まれたという葬式の様子や、形ばかりの石塔を見聞きするにつれ、故郷の人々の厚情を、感謝せざるを得なかった。
「これから甚内さんどうなさる?」
 こう宿の人に訊かれた時、甚内は正直に打ち明けた。
「草を分けても探し出し、敵を討つつもりでございます」
「おおおお、それは勇ましいことだ」宿の人達は驚きながらも、賞讃の辞を惜しまなかった。
 追分宿で七日を暮らし、いよいよ江戸へ立つことになった。心づくしの餞別も集まり、宿の人達は数を尽くして、関所前まで見送った。妹お霜を馬に乗せ、甚内自身手綱を曳き、関所越えれば旅の空、その旅へ再び出ることになった。
 見れば三筋の噴煙が、浅間山から立っていた。思えば今年の夏のこと、兄甚三に送られて、この曠野まで来た時には、緑が鬱々《うつうつ》と茂っていた。その時甚内の乞うに委《まか》せ、甚三の唄った追分節は、今も耳に残っていた。しかるに今は冬の最中《もなか》、草木山川白皚々《はくがいがい》、見渡す限り雪であった。自然はことごとく色を変えた。しかし再び夏が来れば、また緑は萌え出よう。だが甚三は帰って来ない。遠離茫々《えんりぼうぼう》幾千載。たとえ千載待ったところで、死者の甦えった例《ためし》はない。如露《にょろ》また如電《にょでん》これ人生。命ほどはかないものはない。
 人は往々こういう場合に、宗教的悟覚に入るものであった。しかし甚内は反対であった。
「この悲しさも、このはかなさも、富士甚内とお北とのためだ。討たねば置かぬ! 討たねば置かぬ! 敵の名前は富士甚内、富士に対する名山と云えば、俺の故郷の浅間山だ。それでは今日から俺が名も、浅間甚内と呼ぶことにしよう。聞けば昔京師の伶人、富士と浅間というものが、喧嘩をしたということだが、今は天保癸未《みずのとひつじ》ここ一年か半年のうちには、どうでも敵を討たなければならぬ」
 いよいよ復讐の一念を、益※[#二の字点、1-2-22]ここで強めたのであった。

 二人が江戸へ着いたのは、それから間もなくのことであった。
 子柄がよくて不具というので、かえってお霜は同情され、千葉家の人達から可愛がられ、にわかに幸福の身の上となった。
 爾来二人は連れ立って、時々市中を彷徨《さまよ》ったが、甚内が唄う追分たるや、信州本場の名調なので、忽ち江戸の評判となった。ひとつは歌詞がいいからでもあった。
[#ここから2字下げ]
日ぐれ草取り寂してならぬ、鳴けよ草間のきりぎりす
親の意見と茄子《なすび》の花は、千に一つのむだもない
めでた若松浴衣《ゆかた》に染めて、着せてやりましょ伊勢様へ
思いとげたがこの投げ島田、丸く結うのが恥ずかしい
かあいものだよ鳴く音《ね》をとめて、来たを知らせのくつわ虫
百日百夜《ももかももよ》をひとりで寝たら、あけの鶏《とり》さえ床《とこ》さびし
浅間山風吹かぬ日はあれど、君を思わぬ時はない
よしや辛かれ身はなかなかに、人の情の憂やつらや
見る目ばかりに浪立ちさわぎ、鳴門船《なるとぶね》かや阿波で漕ぐ
月を待つ夜は雲さえ立つに、君を待つ夜は冴えかえる
君と我とは木框《きわく》の糸か、切れて離れてまたむすぶ
山で小柴をしむるが如く、こよいそさまとしめあかす
[#ここで字下げ終わり]
 多くは甚内自作の歌詞で、情緒纏綿《てんめん》率直であるのが、江戸の人気に投じたのであった。
 深編笠《ふかあみがさ》で二人ながら、スッポリ顔を隠したまま、扇一本で拍子を取り、朗々と唄うその様子は、まさしく大道の芸人であったが、いずくんぞ知らんその懐中に、磨《と》ぎ澄ましたところの釘手裏剣が、数十本蔵《ぞう》してあろうとは。






[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送