国枝史郎「名人地獄」(073) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(73)

    玻璃窓の平八江戸を離れる

「聞きてえものだ。教えてくだせえ」
「どこかで大船《おおぶね》を造っているのさ」
「へへえ、ナーンだ、そんなことですかい」
「なんだとはなんだ。なんだではないよ」
「だがね、旦那、少しおかしいや。なにも大船を造るのに、大工を攫わなくてもよさそうなものだ」
「いやいや、それがそうでない。造り主が大変者《たいへんもの》なのだ」
「大変者って、何者なので?」
 松五郎はいくらか熱心になった。
「一口にいうと日蔭者《ひかげもの》だ」
「どうも私《わっち》には解らねえ」
 すると平八は声を落としたが、
「教えてやろう。海賊だ」
「ははあ、海賊? ナール、日蔭者だ」
「しかも一通りの海賊ではない。やはりこれは赤格子だ。そうでなければその余党だ。そいつがどこかでご禁制の船を、建造しているに相違ない」
 益※[#二の字点、1-2-22]声を落としたが、
「小松屋、そこで頼みがある。あすかないしはあさって頃、船脚が遅くて小さな船で、そうして金目《かねめ》を積み込んでいる、つまり海賊に襲われそうな船が、どこかの問屋から出はしないか、そいつを調べて来て貰いたい」
「変なご注文でございますね」
「是非今夜中に知りたいのだ」
「ようございます。すぐ行って来ましょう」
 松五郎はとつかわ[#「とつかわ」に傍点]出て行ったが、真夜中になって戻って来た。
「旦那、一隻みつかりました」
「それはご苦労。どこの船だな」
「へい、淀屋の八幡丸《わたまる》で」
「あ、そうか、それは有難い。……いいから帰って休んでくれ」
 松五郎が帰ると平八は、すぐに変装にとりかかった。髯を剃り、髪を結い変え、紺の腹がけに同じ股引《ももひき》、その上へ革の羽織を着たが、まさに一カドの棟梁であった。
 夜のひきあけに家を出ると、深川の淀屋まで歩いて行った。
「許せ」
 と声だけは武士のイキで、
「俺はな、南町奉行所吟味与力の石本だ、仔細あって犬吠へ行く。ついては八幡丸へ乗せてくれ」
「よろしい段ではございません。ご苦労様に存じます」
 淀屋では異議なく承知した。

 こうして名探索玻璃窓は、江戸から足を抜いたのであった。






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