国枝史郎「名人地獄」(080) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(80)

    たたみ込んだ船問答

「おお、そうか、これは面白い、ではお前へ訊くことがある。どうだ、返辞が出来るかな」
「へい、わっちの知っていることなら、なんでもお答えいたしますよ」「知ってることとも、知ってることだよ、お前がほんとに船大工なら、いやでも知らなければならないことだ」
 こういうと武士は懐中から、一葉の紙を取り出した。見れば絵図が描かれてあった。船体横断の図面であった。
「さあ、これだ、よく見るがいい」武士は一点を指差したが、「ここの名称は何というな?」
「へい、腰当梁《こしあて》でございましょうが」平八は笑って即座にいった。己が姿を船大工にやつし、敵地へ乗り込もうというのであるから、忙しいうちにも平八は、一通り船のことは調べて置いた。
「それならここだ、ここは何というな?」「へい、赤間梁《あわち》と申しやす」「うん、よろしい、ではここは?」「三間梁《のま》でございますよ」「感心感心よく知っている。ではここは? さあいえさあいえ」「下閂《したかんぬき》でございまさあ」「ほほう、いよいよ感心だな。ここはなんという? え、ここは?」
「なんでもないこと、小間《こま》の牛で」「いかにもそうだ、さあここは?」「へい、横山梁《よこやま》にございます」「うん、そうだ、さあここは?」「ヘッヘッヘッヘッ、蹴転《けころ》でさあ」「ではここは? さあわかるまい?」「胴《どいがえ》じゃございませんか。それからこいつが轆轤座《ろくろざ》、切梁《きりはり》、ええと、こいつが甲板の丑《しん》、こいつが雇《やとい》でこいつが床梁《とこ》、それからこいつが笠木《かさぎ》、結び、以上は横材でございます」
 ポンポンポンといい上げてしまった。
「ふうむ、感心、よく知っている。さては多少しらべて来たな。……よし今度は細工で行こう。……縦縁《たてべり》固着はどうするな?」
「まず鉋《かんな》で削りやす。それからピッタリ食っつけ合わせ、その間へ鋸《のこぎり》を入れ、引き合わせをしたその後で、充分に釘を打ち込みやす。漏水のおそれはございませんな」
「上棚中棚の固着法は?」
「用いる釘は通り釘、接合の内側へ漆《うるし》を塗る。こんなものでようがしょう」
「釘の種類は? さあどうだ?」
「敲《たた》き釘に打ち込み釘、木釘に竹の釘に螺旋《らせん》釘、ざっとこんなものでございます」
「螺旋釘の別名は?」
「捩《ね》じ込み釘に捩じ止め釘」
「船首《とも》の材には何を使うな?」
「第一等が槻材《けやきざい》」
「それから何だな? 何を使うな?」
「つづいてよいのは檜材《ひのきざい》、それから松を使います」
「よし」というと侍は、またも懐中へ手を入れたが、取り出したのは精妙を極めた、同じ船体の縦断面であった。
「さあここだ、なんというな?」
 航《かわら》と呼ばれる敷木《しき》の上へ、ピッタリ指先を押しあてた。
「なんでもないこと、それは航で」「いかにも航だ。ではここは?」「へい、弦《つる》でございます。そうしてその下が中入れで、そうしてその上が弦押しで」「矧《は》ぎ付きというのはどのへんだな?」
「弦押しの上部、ここでございます」「では、ここにある一文字は?」「船の眼目、すなわち船梁《ふなばり》」
「もうよろしい」といったかと思うと、武士は図面を巻き納めた。と、居住居《いずまい》を正したが、にわかに声を低目にし、「正直にいえ、職人ではあるまい」
「くどいお方でございますな」平八は多少ムッとしたが「なにを証拠にそんなことを。……わっちは船大工でございますよ」
「そうか」というとその武士は、平八の右手をムズと掴んだ。
「これは乱暴、なにをなされます」






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