国枝史郎「名人地獄」(085) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(85)

    莫大もない赤格子の財産

 森田屋清蔵には平八の言葉が、どういう意味なのか解らなかった。で、ちょっとの間だまっていた。
 が、やがて意味がわかると、
「ええええ、お目違いじゃございませんとも」急に森田屋は乗り出して来た。
「ご禁制の二千石船を、こしらえている者がありますので」
「それをお前は知ってるのか?」平八は思わず乗り出した。
「知ってる段じゃございません。私《わっち》らはそいつらと張り合ってるので」「誰だな? そいつは? え、誰だな?」「赤格子九郎右衛門でございますよ」
 これを聞くと平八は、しばらく森田屋を見詰めていたが、「うん、それでは赤格子は、日本の土地にいるのだな」「ハイ、いる段じゃございません。赤格子本人がやって来たのは、今年の秋のはじめですが、手下の奴らはずっと前から、日本へ入りこんでいたのですな。そうして連絡を取っていたので」「で、今はどこにいるのだ?」「へい、銚子におりますので」「ううむ、そうか、銚子にな……そこで大船《おおぶね》を造っているのだな? ……なんのために造っているのだろう?」「莫大もない財産を、持ち運ぶためでございますよ」森田屋は居住居を正したが、「実はこうなのでございます。十数年前大坂表で、赤格子九郎右衛門一味の者が、刑死されたと聞いたとき、そこはいわゆる蛇《じゃ》の道は蛇《へび》で、眉唾《まゆつば》ものだと思いました。はたしてそれから探ってみると、刑死どころかお上の手で、丁寧に船で送られて、南洋へ渡ったじゃございませんか。そこでわたしたちは考えたものです。彼奴《きゃつ》が永年密貿易によって、集めた財産は莫大なものだが、どこに隠してあるだろうとね。南洋へ移した形跡はない。ではどうでも日本のうちにある。ソレ探せというところから、随分手を分けてさがしましたが、ねっから目っからないではございませんか。そうこうしているうち年が経ち、ある事情でこのわたしは、海賊の足を洗いました。……」
「ううむ、そうか、それじゃやっぱり、お前は海から足を洗い、素人《しろと》になっていたのだな」
 平八はうなずいて言葉を※[#「插」のつくり縦棒を下に突き抜ける、第4水準2-13-28]んだ。「で、どこに住んでいたな?」「へい、江戸におりました」「ナニ江戸に? 江戸はどこに?」「日本橋は人形町、森田屋という国産問屋、それが私の隠れ家でした」「人形町の森田屋といえば、江戸でも一流の国産問屋だが、それがお前の隠れ家だとは、今が今まで知らなかった。……世に燈台《とうだい》下《もと》くらしというが、これは少々暗すぎたな。いや、どうも俺も駄目になった」またも平八は憮然《ぶぜん》として嘆息せざるを得なかった。「そのお前がどうしてまた、荒稼ぎをするようになったのかな?」「それには訳がございます。どうぞお聞きくださいますよう。ある日ヒョッコリ訊《たず》ねて来たのが、義兄弟の金子市之丞で、父の仇が討ちたいから、どうぞ助太刀をしてくれと、こう申すではございませんか。仇は誰だと訊きましたところ、赤格子九郎右衛門だというのです。その赤格子なら南洋にいる、どうして討つ気かと訊ねましたところ、最近日本へ帰って来て、銚子にいるというのです。そこでわたしも考えました。相手が赤格子九郎右衛門なら、持って来いの取り組みだ。それにおりから商売にも飽き、平几帳面《ひらきちょうめん》の素人ぐらしにも、どうやら面白味を失って来た。河育ちは河で死ぬ。よし一生の思い出に、それでは、もう一度海賊となり、赤格子めと張り合ってやろう。それがいいというところから、数隻の廻船を賊船に仕立て、昔の手下を呼び集め、なにしろ赤格子と戦うには、兵糧もいれば武器もいる。やれやれというので近海を、荒らしまわったのでございますよ」さすがにそれでも気が咎《とが》めると見え、こういうと森田屋は俯向《うつむ》いた。






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