国枝史郎「名人地獄」(088) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(88)

    腹へ滲みわたる鼓の音

 亀戸《かめいど》から市川へ出、八幡を過ぎ船橋へあらわれ、津田沼から幕張を経、検見川《けみがわ》の宿まで来た時であったが、茶屋へ休んで一杯ひっかけ、いざ行こうと腰を上げた時、ふと眼についたものがあった。というのは道標《みちしるべ》で、それには不思議はなかったが、その道標の真《ま》ん中所《なかどころ》に、十文字の記号が石灰で、白く書かれてあるのであった。「婆さん」と次郎吉は話しかけた。「ありゃあ何だね、あの印は?」「あああの十文字でございますかな」茶店の婆さんは興もなさそうに、「さあ、なんでございますかね。妾にはトンとわかりませんが。なんでも今から一月ほど前から、あっちにもこっちにもああいう印が、書いてあるそうでございますよ」「あっちにもこっちにもあるんだって? ヘエ、そいつあ不思議だね」「それもあなた成東街道を、銚子まで続いているそうで」「ふうむ、なるほど、銚子までね」次郎吉は腕を組んで考え込んだ。
「ははあわかった。これはこうだ。人寄せの符号に相違ねえ。仲間へ知らせる人寄せ符号だ。……なんだかちょっと気になるなあ。……よし、ひとつ突き止めてやろう。とんだいい目が出ようもしれぬ」そこで婆さんへ茶代をやると、街道を東へ突っ切った。さて川野辺へ来てみると、なるほどそこの道標《みちしるべ》にも同じ十文字が記してあった。「こいつあいよいよ面白いぞ」そこで例の横歩き、風のように早い歩き方で、グングン東南へ走り下った。吉岡の関所の間道を越え、田中、大文字、東金宿、そこから街道を東北に曲がった。成東、松尾、横芝を経、福岡を過ぎ干潟を過ぎ、東足洗《ひがしあしあらい》から忍阪、飯岡を通って、銚子港、そこの海岸まで来た時には、夕陽が海を色づけていた。と見ると海岸の小高い丘に、岩《いわお》のように厳《いか》めしい、一宇の別荘が立っていたが、そこの石垣にとりわけ大きく、例の十文字が記されてあった。
「ははあ、こいつが魔物だな」そこは商売みち[#「みち」に傍点]によって賢く、次郎吉は鋭い「盗賊眼」で早くもそれと見て取った。あたりを見廻すと人気がなく、波の音ばかりが高く聞こえた。「よし」というと岩の根方に、膝を正して坐ったが、まず風呂敷の包みを解き、取り出したのは少納言の鼓、調べの紐をキュッと締め、肩へかざすとポンと打った。とたんにアッといって飛び上がったのは、思いもよらず鼓の音が、素晴らしく高鳴りをしたからであった。「こんな筈はない。どうしたんだろう?」そこでもう一度坐り直し、ポンポンポンと続け打ってみた。と、その音は依然として、素晴らしい高鳴りをするのであった。「どうもこいつは解せねえなあ」こう次郎吉は呟いたが、そのまま鼓を膝へ置くと、眉をひそめて考えこんだ。「千代田城の大奥へ、一儲けしようと忍び込み、この鼓を調べたとき、ちょうどこんなような音がしたが、名に負う柳営とあるからは、八百万石の大屋台、腹のドン底へ滲み込むような、滅法な音がしようとも、ちっとも驚くにゃあたらねえが、いかに構えが大きいといっても、たかが個人の別荘から、こんな音色が伝わって来るとは、なんとも合点がいかねえなあ」……じっと思案にふけったが「三度が定《じょう》の例えがある。よし、もう一度調べてみよう。それでも音色に変りがなかったら、十万二十万は愚かのこと、百万にもあまる黄金白金《こがねしろがね》が、あの別荘にあるものと、見究めたところで間違いはねえ。いよいよそうなら忍び込み、奪い取って一釜《かま》起こし、もうその後は足を洗い、あの米八でも側へ引き付け、大尽《だいじん》ぐらし栄耀栄華、ううん、こいつあ途方もねえ、偉い幸運にぶつかるかもしれねえ。犬も歩けば棒というが、鼠小僧が田舎廻りをして、こんなご馳走にありつこうとは、いや夢にも思わなかったなあ。どれ」というと鼓を取り上げ、一調子ポ――ンと打ち込んだ。やっぱり同じ音色であった。
「こいつあいよいよ間違いはねえ。驚いたなあ」と呟いた時、
「オイ、千三屋!」
 と呼ぶ声がした。
「え!」と驚いた次郎吉が、グルリ背後《うしろ》を振り返って見ると、一人の武士が岩蔭から、じっとこっちを見詰めていた。
「おっ、あなたは平手様!」ギョッとして次郎吉は叫んだものである。






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