国枝史郎「名人地獄」(090) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(90)

    造酒と次郎吉別荘へ忍ぶ

 次郎吉とそうして平手造酒とが「主知らずの別荘」のあり場所について、最初に尋ねた家といえば、好運にもお品の家であった。そこで二人は一切を聞いた。銀之丞が銚子へ来たことも、お品の家に泊まっていたことも、主知らずの別荘へ行ったきり、帰って来なかったということも。
「だからきっと銀之丞様は、いまでもあそこの『主知らずの別荘』に、おいでなさるのでございましょうよ」こういってお品は寂しそうにした。そこで二人はあすともいわず、今夜すぐに乗り込んで行って、造酒としては銀之丞を救い、次郎吉としては莫大もない、別荘の中の財宝を、盗み取ろうと決心した。
 別荘へ二人が忍び込んだのは、その夜の十二時近くであった。不思議なことに別荘には、何の防備もしてなかった。刎《は》ね橋もちゃんと懸かっていたし、四方の門にも鍵がなかった。で、二人はなんの苦もなく、広い構内へ入ることが出来た。中心に一宇の館があり、その四方から廊下が出ていて、廊下の外れに一つずつ、四つの出邸のあるという、不思議な屋敷の建て方には、二人ながら驚いた。しかし、それよりもっと驚いたのは、その屋敷内が整然と、掃除が行き届いているにも似て、闃寂《げきじゃく》[#「闃寂」は底本では「※[#「闃」の「目」に代えて「自」]寂」]と人気のないことで、あたかも無住の寺のようであった。
 しかしじっと耳を澄ますと、金《かつ》と金と触れ合う音、そうかと思うと岩にぶつかる、大濤《おおなみ》のような物音が、ある時は地の下から、またある時は空の上から、幽《かす》かではあったけれど聞こえて来た。
「平手さん、どうも変ですね」次郎吉は耳もとで囁いた。「気味が悪いじゃありませんか」
「うむ」といったが平手造酒は、じっと出邸へ目をつけた。「とにかくあれは出邸らしい。ひとつあそこから探るとしよう」
 土塀の内側に繁っている、杉や檜の林の中に、二人は隠れていたのであったが、こういうと造酒は歩き出した。
「まあまあちょっとお待ちなすって。そう簡単にゃいきませんよ。なにしろここは敵地ですからね。いかさまあいつが出邸らしい。と、するといっそうあぶねえものだ。人がいるならああいう所にいまさあ。つかまえられたらどうします」「いずれ人はいるだろうさ。これほどの大きな屋敷の中に、人のいない筈はない。が、おれは大丈夫だ。五人十人かかって来たところで、粟田口《あわたぐち》がものをいう。斬って捨てるに手間ひまはいらぬ」「それはマアそうでございましょうがね。君子は危うきに近寄らず、いっそそれより本邸の方から、さがしてみようじゃございませんか」「いやいやそんな余裕はない。観世から来た鞘手紙、危険迫るとあったではないか。一刻の間も争うのだ」「なるほどこいつあもっともだ。だがあっしは気が進まねえ。うん、そうだ、こうするがいい。あなたは出邸をお探しなせえ。あっしは本邸を探しやしょう」「おお、こいつはいい考えだ。それではそういうことにしよう」
 ここで二人は左右へ別れ、次郎吉は本邸へ進んで行った。木立ちを出ると小広い空地で、戦いよさそうに思われた。左手を見れば長廊下で、出邸の一つに通じていた。右手を見ても長廊下で、また別の出邸に通じていた。空地を突っ切ると本邸で、戸にさわると戸が開いた。と眼の前に長い廊下が、一筋左右に延びていた。耳を澄ましたが人気はなく、ただ薄赤い燈火《ともしび》が、どこからともなくさしていた。「ともしがさしているからには、どこかに人がいなけりゃあならねえ」で次郎吉はその廊下の、右手の方へと忍んで行った。すぐに一つの部屋の前に出た。これぞお艶の部屋なのであったが、今夜は誰もいなかった。で次郎吉は引き返そうとした。
 しかし何んとなく未練があった、で、しばらく立っていた。






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