国枝史郎「名人地獄」(091) (めいじんじごく)

国枝史郎「名人地獄」(091)

    森田屋一味の赤格子征《ぜ》め

 しかるにこの頃暗い暗い、銚子の海の一所に数隻の親船が現われた。森田屋一味の海賊船で、赤格子ぜめに来たのであった。すなわち彼らの根拠地から、用意万端ととのえて、総勢すぐって二百人、有司の鋭い警戒網をくぐり、ここまでやって来たのであった。……親船は岸へ近づいて来た。やがて碇《いかり》を下ろしたとみえ、ゆたかに海上へ漂った。と小船《はしけ》が無数に下ろされ、それが一斉に岸へ向かって、さながら矢のように漕ぎ寄せられた。と、ヒラヒラと人が下りた。すると小船《はしけ》は帰って行った。と、またその船が岸へ漕がれ、ヒラヒラと人が岸へ飛んだ。これが数回繰り返され、一百人あまりの人数が、海から岸へ陸揚げされた。森田屋の部下の海賊どもであった。
 賊どもは一団に固まった。真っ先に立った人影は、秋山要介正勝で、櫂《かい》で造った獲物を提《ひっさ》げ、一巡一同を見廻したが、重々しい口調でいい出した。
「森田屋は船へ残すことにした。海路を断たれると危険だからな。……さて市之丞前へ出ませい」声に連れて一つの人影が、ツト前へ現われた。「赤格子九郎右衛門はそちにとり、不倶戴天《ふぐたいてん》の父の仇だ。で五十人の部下を率い、東の門から乱入し、赤格子一人を目掛けるよう。さて次に郡上殿!」呼ばれて一つの人影は、立ったままで一礼した。「貴殿には尊いお方から、密書を預かっておられる由、十人の部下をお貸し致す。それに守られてご活動なされ。行動は一切ご自由でござる。次に小頭小町の金太!」「へい」というと一つの人影が、群を離れて進み出た。「お前は二十人の部下を連れて、西の門から乱入しろ。そうして出邸へ火を掛けろ。さて、最後にこの俺だが、残りの二十人を引率し、表門から向かうことにする。一世一代の赤格子征《ぜ》めだ、命限り働くがいい」
 全軍粛々《しゅくしゅく》と動き出した。
 玻璃窓の郡上平八としては、ここが名誉と不名誉との、別れ際《ぎわ》ともいうべきであった。赤格子が殺されてしまったら、せっかくの密書が役に立たぬ。これはどうでも戦いの前に、是非赤格子に渡さなければならない。で、つと群から駈け抜けると、付けられた十人の部下も連れず、大手の門へ走っていった。自由行動を許されていたので、誰も咎める者はない。来て見れば刎ね橋が下ろされてあった。それを渡って表門にかかり、試みに押すとギーと開いた。さて構内へはいって見ると、まことに異様な建築法であった。一渡り素早く見廻したが、中央に立っている建物へ、目を付けざるを得なかった。で、彼は足音を忍ばせ、空地を横切って本邸へ走った。手に連れて扉が開き、長い廊下が眼の前を、左右にズッと延びていた。彼はちょっとの間思案したが、つと廊下へ踏み入った。そうしてすぐに左へ廻った。
 この時和泉屋次郎吉は、反対側の廊下の上に、考え込んで立っていたが、誰やら人の来たらしい、軽い足音が聞こえて来たので、ハッとして耳を引っ立てた。
「いずれ屋敷の者だろう。逢ってもみたし逢いたくなし。少し様子を探ってやれ」
 で彼は西へ廻った。
 この本邸の建て方は、中央に九郎右衛門の部屋があり、その部屋の四面を囲繞《いにょう》して、廊下がグルリと作られてあり、その廊下の隅々に、四つの部屋が出来ている。
 で、次郎吉の立っていた所は、その北側の廊下であって、それを今西の方へ歩き出した。また平八の立っていた所は、南側の廊下であったが、それを今東へ歩き出した。
 九郎右衛門の居間たるや、四方厚い石壁で、各※[#二の字点、1-2-22]《おのおの》の四隅に戸口はあったが、石壁の色と紛らわしく、発見することは不可能であった。
 玻璃窓の平八は足を止めた。それは自分の反対側で、誰かこっそり歩いているとみえ、幽かな足音がしたからであった。しかしもちろん足音の主が、鼓賊だなどとは夢にも思わず、邸内の者だろうと想像した。






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