国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(11) (なんばんひわもりうこんまる)

国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(11)

11

 民弥の家の一つの室《へや》では二人の男女が話していた。
 その一人は民弥であり、もう一人は右近丸であった。
 父を失い孤児《みなしご》となった、民弥の身の上を気の毒がり、右近丸は見舞いに来たのである。しかし勿論一方では、殺された不幸の弁才坊が、生前研究した唐寺の謎の、研究材料を探し出し、主君信長公の命令通り、高価の金で買い求めようと、そうも考えて来たのであった。
 窓から昼の陽が射し込んでいる。室《へや》が明るく輝いている。生前の弁才坊の研究室であり、また殺された室でもあった。秘密を保とうためなのだろう、四方板壁でかこまれた、紅毛振の室である。その一方に扉がある。紅毛振の扉である。扉と向かい合った一方の壁には、巨大な書棚が据えてある。書棚には本が積んである。巻軸もあれば帙入《ちついれ》もある。西班牙《スペイン》文字の本もある。いずれも貴重な珍書らしい。扉を背にして左の壁に、穿いているのが窓である。扉を背にして右の壁に、懸けてあるのは製図である。室の広さ十五畳敷ぐらい、そこに置かれてある器物といえば、測量機、鑿孔機《さくこうき》、机、卓、牀几《しょうぎ》というような類である。窓から投げ込まれる春の陽に、それらのものが艶々と光り、また陰影《かげ》を印《つ》けている。
 極めて異国趣味の室である。
 牀几に腰かけた二人の男女、民弥《たみや》とそうして右近丸《うこんまる》、清浄な処女と凜々しい若武士《わかざむらい》、この対照は美しい。
「秘密の鍵は第三の壁、こう確かに弁才坊殿には、仰せられたのでございますな?」いずれ話の続きだろう、こう訊いたのは右近丸。
「はい、さようでございます」こう答えたのは民弥である。直ぐに後を云いつづけた。「弑《しい》せられる日の夕暮方、父が申しましてございます。秘密の一端明かせてやろう、室へおいで、来るがよいと……で、この室へ参りましたところ、父が申しましてございます。『秘密の鍵は第三の壁』それから更に申しました。『この人形を大事にしろ』ただそれだけでございました。どうやら父と致しましては、もっともっと何か詳しいことを、話したかったのでございましょう、そう申してからもしばらくの間考え込んで居りましたが、その中《うち》日が暮れて宵となり、そこの窓から何者か――近所の子供だとは存じますが、覗いているのを目つけますと、フッツリ黙り込んでしまいました。あの時子供さえ覗かなかったら、きっときっとお父様は、もっともっと詳しいお話を、お話し下されたことと思われます。詳しく聞いてさえ居りましたら、研究材料の有場所など、直ぐにも知ることが出来ますのに、ほんとに惜しいことをいたしました。憎らしいは子供でございます。つまらない[#「つまらない」に傍点]はお父様でございます。ほんとにつまらない[#「つまらない」に傍点]お父様! そんな子供の立聞などに、神経を立てなければようございましたのに。ほんとにつまらない[#「つまらない」に傍点]お父様!」
 民弥はこんなことを云い出した。「ほんとにつまらない[#「つまらない」に傍点]お父様だ」などと……これでは死んだ自分の父を、攻撃《せ》めているようなものである。しかも民弥の云い方には、楽天的の所がある。また快活な所がある。父の死んだということを、悲しんでいるような様子がない。道化てさえもいるのである。一体どうしたというのだろう? 民弥はそんな不孝者なのだろうか? いやいやそうとは思われない。民弥と父の弁才坊とは、真実の親子でありながら、まるで仲のよいお友達のように、道化た軽口ばかり利き合っていた。それが全然習慣となって、父の逝くなった今日でも、そんなに快活で楽天的で、道化てさえもいるのだろうか? もしそうなら民弥という娘は、不真面目な女といわなければならない。否々そうでもなさそうである。では何かその間に、云われぬ秘密がなければならない。どっちみち民弥の言葉や態度には、道化たところがあるのであった。
 そういう民弥の様子に対し、森右近丸は不審を打った。しかし不審は打ったもののメソメソ泣かれたり悲しまれたり、訴えられたりするよりは、却って気持はよいのであった。「勿論心中では悲しみもし、又嘆いてもいるのだろうが、非常にしっかりした性質なので、努めて抑え付けているのだろう。そうして故意《わざ》と快活に、そうして故意と道化たように、振舞っているに相違ない。ではこっちもその意《つもり》で、それに調子を合わせて行こう」――これが右近丸の心持であった。
 で右近丸は云ったものである。
「いや全く弁才坊殿は、つまらない[#「つまらない」に傍点]お方でございましたよ。訳のわからない暗号のような、変な謎語を残しただけで、死んでしまったのでございますからな。……先ずそれはそれとして、せっかく残された二つの謎語、うっちゃって[#「うっちゃって」に傍点]置く事も出来ますまい。解いてみることにいたしましょう。ひょっとすると[#「ひょっとすると」に傍点]この謎語に、唐寺の謎を解き明かせた、研究材料の有場所が語られてあるかもしれません」
 で右近丸は考え込んだ。




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