国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(14) (なんばんひわもりうこんまる)

国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(14)

14

 四条通りは寂しかった。人の往来《ゆきき》も稀であった。右近丸は歩いて行く。夕陽が明るく射している。家々の蔀《しとみ》が華やかに輝やき、その代り屋内が薄暗く見え、その屋内にいる人が、これも薄暗く暈《ぼ》かされて見える。焚香《ふんこう》[#ルビの「ふんこう」は底本では「ふんかう」]の匂いなどもにおってくる。
 右近丸は歩いて行く。
 と、俄《にわか》に足を止めた。「解《わか》った!」と呻くように云ったものである。「『くぐつ』とは人形の別名だ。傀儡《くぐつ》だ傀儡だ! 人形のことだ! 『てんせい』というのは眼のことだろう。画龍点睛《がりゅうてんせい》という言葉がある。龍を画《えが》いて眼を点《てん》ずる! この点睛に相違ない。『しとう』というのは『指頭《しとう》』のことだろう。指先ということに相違ない。『きようだ』というのは『強打』なんだろう。強く打てということなんだろう。――人形の眼を指の先で、強く打てという意味なのだ。そうしたら例の唐寺の謎の、研究材料の有場所が、自ずと解るということだ。うむ、そういえば弁才坊殿には『この人形を大事にしろ』と民弥殿に云ったということだ。これで解った、すっかり解った! 奈良朝時代の貴女人形、あの人形の眼さえ打ったら、唐寺の謎の研究材料、その有り場所が解るのだ。……これはこうしてはいられない。すぐ引っ返して民弥殿と逢い、あの人形を調べてみよう!」
 身を翻えすと右近丸は元来た方へ引っ返した。
 ちょっとの躊躇も許されない。見得も外聞も構っていられぬ。で右近丸は走り出した。
 が、どんなに急いでも、人形は売られた後である。人手に渡った後である。どうすることも出来ないだろう。
 まさしくそれはそうであった。息せき切った右近丸が、民弥の屋敷へ駈け込んで、例の室で民弥と逢い、人形の行方を尋ねた時、民弥の口から右近丸は、残念な報告を聞かされたのである。
 小判と青差を卓の上へ載せ、それに見入っていた娘の民弥は、右近丸が入って来るのを見ると、驚いたように云ったものである。
「まあそのあわただしい御様子は、どうなされたのでございます?」
 それには碌々挨拶もせず、右近丸は室を見廻したが、「民弥殿! 民弥殿! 人形を! ……ちょっと人形をお見せ下され!」
 すると民弥は赤面したが、小判と青差とを指さした。
「小判とそうして青差とに、人形は変わってしまいました」
「え?」と云ったものの右近丸には、何のことだか解らなかった。で直ぐに云い続けた。「帙入《ちついれ》の書物《ほん》に記されてあった、『くぐつ、てんせい、しとう、きようだ』……この謎語の意味解ってござる! 人形の眼を指の先で、強く打てという意味なのでござる。そうしたら逝《な》くなられた弁才坊殿が、苦心をされて調べあげた、唐寺の謎の研究材料、その有場所が解るのでござる! 奈良朝時代の貴女人形、あの人形に一切合財、秘密が籠っているのでござる。お見せ下され、貴女人形を!」
「まあ」と叫ぶと娘の民弥は仰天して立ち上ったが、見る見る顔色を蒼白くした。と、グッタリと牀几の上へ、腰を下ろすと喘ぎ出した。
「一足違い! 一足違い!」
「何?」とばかり右近丸。
「売り渡しましてございます」
「誰に※[#疑問符感嘆符、1-8-77]」と右近丸は胸をそらせた。
「今しがた来た古道具買に……」
「誠か※[#疑問符感嘆符、1-8-77]」と云ったが嗄声《かれごえ》である。「で、そやつ、どの方角へ?」
「はい……一向……その辺りの所は……」
「ご存じないと云われるか?」
「存じませんでございます」
 ここに至って右近丸は落胆したというように、牀几にべッタリ腰かけてしまった。苦心が水泡に帰したのである。又九仭《じん》の功名を、一簣《き》に虧《か》いてしまったのである。落胆するのは当然である。
 しばらく二人とも物を云わない。互いに顔さえ見合わさない。溜息を吐くばかりである。
 すっかり夕《ゆうべ》の陽も消えた。窓外がだんだん暗くなる。花木の陰が紫から、次第に墨色に移って行く。
 と、俄《にわか》に右近丸は勢い込んで飛び上ったが、「うっちゃって置くことは出来ません、たとえ京の町は広くとも、探して探されないものでもなし、立ち去って間もないというからには、あるいはこの辺りに古道具買徘徊して居るかも知れません。すぐに参って目付け出し、奈良朝時代の貴女人形買い戻すことにいたしましょう」
「それでは」と民弥も意気込んだ。「妾《わたし》もお供いたします!」
「おお、そなたも参《まい》られるか」
「参りますとも参りますとも! 妾ご一緒に参らなければ、人形を買った古道具買の、人形風俗わかりますまい!」
「これは如何にもご尤も! それでは一緒に!」
「右近丸様!」
「おいでなされ!」
 と走り出た。続いて民弥も女ながら、一所懸命の場合である。小褄《こづま》を取ると嗜《たしなみ》の懐刀、懐中《ふところ》へ入れるのも忙しく、後に続いて走り出た。






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