国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(16) (なんばんひわもりうこんまる)

国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(16)

16

「売りは売ったが金を返し、買い戻そうと申すのだ、何が不足で返さぬと云うぞ! 返辞によっては用捨せぬ! 懲しめるぞよ、どうだどうだ!」
 こう云ったが右近丸は感付いた。「ははあ儲けが欲しいのだな」そこで今度は穏しく、「成程なるほど考えて見れば、お前は商人《あきんど》古道具買、せっかく手に入れた品物を、元価《もとね》で返しては商売になるまい。よろしいよろしい増金をしよう。青差一本余分につける。これでよかろう、さあさあ返せ」
 だが香具師の猪右衛門は相手にしようとはしなかった。
「駄目だアーッ」と再び呶鳴《どな》ったが、思量なくベラベラ喋苦《しゃべ》り出した。「これお侍に娘っ子、聞け聞け聞け、聞くがいい、奈良朝時代の貴女人形、返しゃアしねえよ、返すものか! 青差一本は愚かのこと、黄金幾枚つけようと、返すものかア、返すものかア! オイ!」と云うとヒョイと進み、白歯を剥いて笑ったが、それから尚も云い続けた。「と云うのは他でもねえ、この人形の胎内に、大事な秘密があるからよ。唐寺の謎! 唐寺の謎!」
「おっ!」と叫んだは右近丸である。「ううむ、汝《おのれ》どうしてそれを?」
「知っているのが不思議かな!」猪右衛門はいよいよ嘲笑的に、憎々しく首を突き出したが、「まず云うまいよ、明かすまいよ。が、ハッキリと云って置く、それさえ解いたら素晴らしいもの[#「もの」に傍点]が、手に入ることになっている、南蛮寺の謎――唐寺の謎が、籠っているのだ、人形にはな! だからよ小判一枚と、青差一本というような、破格な高価で買ったのさ! そうでなかったらこんな人形、そんな高価で買うものか! オッと待ったり」と猪右衛門は迂散《うさん》らしく右近丸と民弥とを、かたみがわりに見やったが。「ははあそうか、ははあそうか、一旦売った人形を、取り返そうとするからには、さては汝等《うぬら》も人形の、胎内の謎に感付いたな。と云うことであってみれば、人形はいよいよ返されねえ。オイ玄女さん」と猪右衛門は玄女の方を見返ったが、「お聞きの通りだ、この連中、人形の秘密に感付いたらしい。まごまごしてはいられない、行こう行こう、急いで行こう」
「それがいいねえ、そうしよう」
 こう云ったのは玄女である。胸にしっかり人形を抱き、猪右衛門と右近丸の問答を、面白そうに見ていたが、こうこの時云ったのである。
「それじゃア走って行くとしよう、お前さんも急いで来るがいいよ。さあさあおいでよ、猪右衛門さん!」
「よし来た、急ごう、それ走れ」
 そこで玄女と猪右衛門は右近丸と民弥を尻目にかけ、サーッと四ツ塚の方へ走り出した。怒りをなしたのは右近丸である。
「待て!」と一声呼びかけたが、すぐに民弥を振り返った。
「ご覧の通りの彼等の有様、人形の秘密を知った上で、ペテンにかけて買い取った様子、とうてい尋常では返しますまい。もうこうなっては止むを得ませぬ、腕を揮うは大人気ないが、今は揮わねばなりますまい。貴女《あなた》にもご用意、玄女とやらいう女へ、掛かって人形をお取り返し下され、拙者は一方猪右衛門とやらへ、掛かって懲らすことに致しましょう」
 腰の長太刀《ながたち》を引き抜いた。
「はい、それではこの妾《わたし》も」云うと同時に娘の民弥はグッと懐中《ふところ》へ手を入れたが、キラリと抜いたは懐刀である。
「待て!」ともう一度声を掛け、逃げて行く猪右衛門の背後《うしろ》から、颯《さっ》と一刀浴びせかけた。
「ワッ」と云う喚き! 猪右衛門だ! もんどり[#「もんどり」に傍点]打って倒れたが、不思議と血潮は流れなかった。当然である。右近丸がこんな下人を切ったところで、無駄な殺生と考えて、ピッシリ峯打に後脳を、一つ喰らわせたに過ぎなかったのだから。
 香具師の頭の猪右衛門は、しかし右近丸が思ったより、獰猛な性質の持主であった。打たれて地上へは倒れたが、隠し持っていた一腰を、引き抜くと翻然飛び上った。
「こんなものだアーッ」と凄じい掛声! 右近丸を目掛けて猪右衛門は一本「突き」を突っ込んだ。立派な腕前、油断のならぬ気魄、右近丸思わずギョッとしたが、さてその右近丸ときたひには、この時代の剣聖塚原卜伝、その人に仕込まれた無双の達人、香具師の頭猪右衛門などに、突かれるようなヤクザではない。横っ払いに払い捨てた。と、チャリーンと太刀の音! 人通りの絶えた寂しい五条、そこの夜の気に響いたが、さすがに気味の悪い音であった。
 と、一方この時分、民弥は懐刀を振りかざし、玄女の行手へ突っ立っていた。




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