国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(17) (なんばんひわもりうこんまる)

国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(17)

17

 行手へ突っ立った娘の民弥、
「玄女《げんじょ》さんとやら、改めて、貴女《あなた》へお願い致します。人形をお返し下さいまし」
 言葉は優しいが態度は強く、厭と云ったら用捨しない、懐刀で一揮《き》、片付けてやろうと、決心しながら詰め寄せた。素性は名流北畠家の息女、いつの間にか父親多門兵衛尉《たもんひょうえのじょう》に、武術の教を受けたものと見え、体の固め眼の配り、寸分際なく神妙である。
 しかし一方香具師の頭、玄女も決して只者ではなかった。
「民弥さんとやら、断わりましょう」にべもなくポンと付っ刎ねたが、「この人形の返されない訳は、今も仲間の猪右衛門《ししえもん》さんが、お話ししたはずでございますよ。……いわば私達にとりましては、貴女方お二人というものは、唐寺の謎を孕んでいる、この人形の取り遣りの、競争相手でございます。なんのそういう競争相手に、人形をお返し致しましょう。お断わりお断わり、断わります。……オヤオヤ見受ければまだお若い、無邪気な娘さんでありながら、物騒千万懐刀などを、振り冠って何となされるやら、ほほうそれでは腕ずくで、人形を取ろうとなされるので? 怪我をしましょう、お止しなされ! どうでも刃物を揮われるなら、妾も香具師の女親方、二十三十の荒くれ男を、使いこなしている商売柄、何のビクともいたしましょう、お相手しましょう、さあおいでよ!」
 胸に抱いていた人形を、左の脇下へ掻《か》い込むと、右手を懐中《ふところ》へ捻じ込んだ。グッと引抜き振り冠った途端、頭上にあたって、キラキラと月光を刎ね返すものがあった。すなわち長目の懐刀である。すなわち玄女が懐刀を抜き、同じく頭上へ振り冠ったのである。
 と、玄女飛び込んだ。民弥の肩へズーンと一刀! 刀の切先を突き立てたのである。
 なんの民弥が突かれるものか、右へ流すとひっ[#「ひっ」に傍点]外《ぱず》しどんと飛び込んで体あたり[#「あたり」に傍点]! 流されたのでヨロヨロと泳いで前へ飛び出して来た玄女の胴へ喰らわせた。それが見事に決まったと見える、玄女は地上へ転がったが、金切声で喚き出した。
「さあさあみんな出ておくれよ!」
 するとどうだろう、声に応じ、家の陰やら木の陰やら、橋の下やら、土手の下から、二十人あまりの人影が、獲物々々を打ち振って、黒々として現われた。
 こういうこともあろうかと、予《あらかじ》め玄女が伏せて置いた、彼女の手下の香具師共らしい。
 グルグルと民弥を引っ包んだ。
「さあさあお前達力を合わせ、この娘を手取にするがいい」
 飛び起きた玄女は声を掛けた。「仲々綺麗な娘だよ、捕らえて人買へ売り込んだら、相当の金になるだろう。切ってはいけない、傷付けてもいけない、お捕らえお捕らえ捕らえるがいい!」
「合点々々それ捕らえろ!」
「ソレ引っ担げ引っ担げ!」
 香具師の面々声掛け合わせ、ムラムラと民弥へ押し逼《せま》った。
 仰天したのは民弥である。こんな伏勢《ふせぜい》があろうとは、夢にも想像しなかった。
「これは大変なことになった。……もうこうなっては仕方がない。血を流すのは厭だけれど、切り散らさなければならないだろう」
 そこで一躍右へ飛び、ヒューッと懐刀を打ち振った。「ワッ」という悲鳴! 倒れる音! 香具師の一人切られたらしい。
 しかし香具師共は二十人以上、しかもその上命知らず、兇暴の精神の持主である。一時サーッと退いたが、すぐまた民弥を取り巻いた。
「女の手並だ、知れたものだ、組み敷け組み敷け、取り抑えろ!」
 棒を投げ付ける者もある。足を攫おうとするのである。縄を飛ばせる者もある。引っくく[#「くく」に傍点]ろうとするのである。
 今は民弥も必死である。サーッと一躍左へ飛び、「エイ!」と掛声! 裂帛《れっぱく》の呼吸《いき》! 懐刀をまたもや一揮した。と同時に「ワッ」という悲鳴! そうして続いて倒れる音! 民弥に切られて香具師の一人、ぶっ倒れたに相違ない。
 またもや香具師共はサーッと引き、遠巻きにして取り巻いたが、「強いぞ強いぞ、案外強い! と云ったところでたかが女、蹴倒せ蹴倒せ踏み倒せ!」
 そこでまたもや寄せて来た。
 民弥武道には勝れても、若い女のことである、敵を二人迄切っている。呼吸《いき》切れせざるを得なかった。ハッ、ハッ、ハッと大息を吐き、疲労《つかれ》て萎る両足を、グッと構えて姿勢を正し、振り冠った懐刀月光に顫わせ、ムーッと香具師共を睨み付けた。しかし以前《まえ》程の元気はない。
「一度に寄せろ、占めた占めた! 女は疲労た、からめ[#「からめ」に傍点]捕れ! この機を外すな、からめ[#「からめ」に傍点]捕れ!」
 香具師共ドッと押し寄せた。
 以前程の元気はないのである。民弥は疲労ているのである。そこを狙って多勢の香具師共、一度に寄せて来たのである。危険だ危険だ捕らえられるかも知れない。
 だがこの時声がした。
「強いぞ強いぞ侍めは! あぶないあぶない一時逃げろ!」
 他ならぬ猪右衛門の声である。
 つづいて右近丸の声がした。「お助けいたす、民弥殿!」
 バタバタバタバタと足の音! 右近丸のために切り立てられ、逃げて来た猪右衛門の足音である。それに続いてまた足音! 猪右衛門の後を追っかけて、走って来た右近丸の足音である。
 と、「ワッ」という数声の悲鳴! 民弥をグルグルと取り巻いていた香具師の群から起こったが、これは馳せ付けた右近丸が、太刀を揮って背後《うしろ》から、二三人を切って倒したのである。
 当然香具師の円陣が崩れ、バラバラと四方へ別れたが、四ツ塚の方へ走り出した。
 つと[#「つと」に傍点]現われたは右近丸、「おお民弥殿!」
「右近丸様!」
「どこもお怪我は?」
「ございませんでした」
 力が抜けたのか娘の民弥が、グッタリと右近丸へもたれる[#「もたれる」に傍点]のを、胸で支えて左手で抱き、右手に握った血刀を、グーッと高くかざしたが、右近丸大音に呼ばわった。
「人形を返せ! 人形を返せ!」
 しかし玄女も猪右衛門も、手下と雑って逃げるばかりで、返辞をしようともしなかった。
「残念々々、人形をみすみす取られる、みすみす取られる!」
「右近丸様!」と血走った声! 民弥は元気を取り返したらしい。
「追っかけましょうどこまでも! 取り返しましょう人形を!」
「しかし」と躊躇《ためらっ》た右近丸、「走れますかな、貴女には?」
「無理にも走って参ります! 途中で血を吐き死にましても、きっと走って参ります! 永年の間お父様が、苦心して調べた唐寺の謎、それを解き明かした研究材料、それを持っている人形を、妾《わたし》の粗相でなくなしては、父に申し訳ございません! どこどこ迄も追い詰めて、取り返さなければなりません」
「立派な決心!」と右近丸は感激した声で叫んだが「それでは一緒に!」
「追っかけましょう!」
「汝等《おのれら》待てーッ」と右近丸は叫びを上げながら走り出した。
 負けずに民弥もひた[#「ひた」に傍点]走った。
 右近丸の持った血染めの太刀、民弥の持った血染めの懐刀、走るに連れて月光を弾き、凄じくキラキラ反射する。朧《おぼろ》の月夜である。四辺《あたり》がボッと仄明《ほのあかる》い。薄い紗布《しゃきぬ》を張ったようだ。
 不意に、玄女は振り返った。
「オイいけないよ。猪右衛門さん、あいつ等どこ迄も追っかけて来るよ」
 猪右衛門も背後《うしろ》を見返ったが「成程々々追っかけて来る。構うものかい、逃げろ逃げろ!」
「だがねえ」と玄女は思量《しりょう》深く「私達の四ツ塚の隠家を、突き止められたら大変だよ、あの見幕なら家の中へ、きっと切り込んで来るからねえ」
「おっ、なるほど、それはそうだ! どうしたらよかろう、よい智慧はないか?」
「道を違えて走ろうよ、そうして途中でまく[#「まく」に傍点]としよう」
「そいつァよかった、是非まこ[#「まこ」に傍点]う」
 そこでにわかに玄女と猪右衛門は部下の香具師共と引き別かれ、北山の方へ走り出した。
 早くも見て取った右近丸と民弥は、見失っては一大事と、すぐにそっちへ道を取り、ヒタヒタヒタと追い迫る。
 逃げて行く玄女と猪右衛門と、追って行く民弥と右近丸、どっちも足弱連れである。一方まく[#「まく」に傍点]ことも出来なければ、一方まか[#「まか」に傍点]れもしなかった。
 四人いつの間にか町を出て、北野の方へ走っていた。二十人あまりの香具師の群は、とうに四方へ散ってしまい、四辺《あたり》には一つの姿さえ見えぬ。
 北野を過ぐれば大将軍、それを過ぐれば小北山、それを過ぐれば平野《ひらの》となる、それを過ぐれば衣笠山! そっちへドンドン走って行く。道は険しい、森林がある、夜鳥の羽搏《はばた》き、風の音、光景次第に凄くなった。
 四人が四人とも疲労した。だが逃げなければならなかった。だが追わなければならなかった。

 ちょうどこの頃のことである、鹿苑院《ろくおんいん》金閣寺、そこから離れた森林の中に、一人の女が坐っていた。





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