国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(23) (なんばんひわもりうこんまる)
国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(23)
23
一整《いっせい》に立ち上ったが呶鳴り出した。
「油断をするな、大変な娘だ!」
「一度にかかって手捕りにしろ!」
「相当武芸も出来るらしい。甘く見込んで怪我するな」
そこで一同ダラダラと並び、隙を狙って飛びかかろうと、民弥の様子をうかがった。
飛び込んで来い! 叩っ切る! 敵《かな》わぬまでも防いで見せる! そうして一方の血路《けつろ》をひらき、この屋敷から逃げて見せる! ――民弥は民弥で決心を固め、四方へ眼を配ったが、敵は大勢、民弥は一人、多少武芸の心得はあるが、腕力では弱い女である、助太刀する者がなかったら、ついには手取りにされるだろう。そうなった日には最後である。他国へ売られてしまうだろう。
父は何者かに殺されてしまった。手頼りに思った右近丸は、どこへ行ったか行方が知れない。それだけでさえ不幸なのに、その上他国へでも売られたら、いよいよ不幸と云わなければならない。
助ける者はないだろうか?
人買共は逼《せま》って来る。
助ける者はないだろうか?
だがこの時何者だろう、家から飛び出した者がある。
例の猿若少年であった。
門口から民弥へ声をかけた。
「おい民弥さん民弥さん、往生して捕虜になるがいい。ジタバタ騒ぐと怪我をするぜ。捨てる神があれば助ける神がある。機会をお待ちよ機会をお待ちよ。宣《なの》って上げよう猿若だよ!」
ポイと往来へ飛び出したが、数十間走ると足を止め、腕組みをすると考え込んだ。
「気の毒だなあ、民弥さんは。……どうも大変なことになった。……あの人の人形を盗もうとしたり、お父さんを殺しはしたものの、本心からやったことではない。親分の指図でやった事だ。……俺らの本心から云う時は、綺麗な民弥さんは好きなのだ、人買の奴等に捕らえられ、他国へ売られては可哀そうだなあ。多勢に一人、殊には女、捕らえられるは知れている。……どうぞして助《たす》けてやりたいものだ」
この猿若という少年は、元から悪童ではなさそうである。境遇が悪童にしたようである。
そこで民弥の不幸を見るや、本来の善心が甦えり、真から民弥を助けようと、どうやら考えに沈んだらしい。
ここら辺りは郊外である。人家もまばらで人通りも少い。木立があちこちに茂っている。その木立へ背をもたせ、夕暮の陽に染まりながら、猿若はいつ迄も考えた。
「……他に手段はなさそうだ。うまく忍び込んで連れ出してやろう。……家の案内は知っている。……裏庭へ入り込み壁をよじ、二階の雨戸をコジ開けてやろう。……と云って日中は出来そうもない。宵闇にまぎれ[#「まぎれ」に傍点]てやってやろう。ナーニ目つかったら目つかった時だ、何とかごまかしが付くだろう、付かなかったら仕方がない、戦うばかりだ、戦うばかりだ。……だがそれにしても今日の日は、どうしていつ迄も暮れないんだろう。同情のないお日様だよ」
呟いて空を見上げたが、決して決して今日に限って、日が永いのではなさそうである。
次第に夕空が暮れてきた。
「もうよかろう、さあ仕事だ」
木立を離れると猿若少年はもと来た方へ引っ返した。
ところが同じ日のことであったが、鴨川の水を溯り、一隻の小舟が駛《はし》っていた。
四五人の男が乗り込んでいる。
いずれも不逞の面魂で、善人であろうとは思われない。
夕陽が川水を照らしている。今にも消えそうな夕陽である。
「久しくよい玉にぶつからない。……今日はそいつ[#「そいつ」に傍点]にぶつかりたいものだ」
顔に痣のある男である。
「桐兵衛爺と来た日には、人攫いにかけては名人だ、いずれ上玉の三つや四つは、仕込んでいるに相違ない。真っ先に桐兵衛を訪ねよう」
兎唇《みつくち》の若い男である。
ひそやかに小舟は進んで行く。
この時代における鴨川は、水量も随分たっぷり[#「たっぷり」に傍点]とあり、小舟も自由に往来した。
夕陽が次第に薄れてきた。
まばらの両側の家々や、木立に夜の色が滲んできた。
櫓《ろ》の音を盗んで忍びやかに、小舟は先へと進んで行く。
これは人買の舟なのであった。乗っている四五人の人間は、諸国廻りの人買なのであった。
「この辺りでよかろう、舟を纜《もや》え」
で小舟は岸へ寄せられ、傍らの杭に繋がれてしまった。
「さあさあ桐兵衛の隠家《かくれが》へ行こう」
夕暗の逼ってきた京の町を、柏野の方へ歩き出した。
しかるにこの頃北山の方から、異形の人数が五人揃って、京都の町の方角へ、陰森とした山路を伝いストストストストと下っていた。
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