国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(27) (なんばんひわもりうこんまる)

国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(27)

27

 しかしその時には娘の民弥は、松火をかかげた一団の中へ、身を躍らせて飛び込んでいた。
「これは娘ごどうなされた」
 こう云いながら見守ったのは、一人の立派な老女であった。他でもない浮木《うきぎ》である。そうして現われたこの一団こそ、例の庭師の一群であった。
「はい」と云うと娘の民弥は、クタクタと土へ崩折れたが、「妾《わたし》は京の片隅《かたほとり》に住む民弥と申す者にござります。人買の手にかかりまして……」
「なに、民弥? ほほう左様か、これは幸、よい所で逢った。実はな、お前さまに逢おうと思うて、わざわざ山から下ったものでござるよ、……と云うのは他でもない、南蛮寺の謎につきましてな、お訊《たず》ねしたいことがあるからでござるよ。……がそれは後でお訊ねするとして、大丈夫でござるお助けいたす」
 ここで浮木は庭師達を見たが、「あいや方々お聞きの通り、人買共が民弥殿を、誘拐《かどわか》そうと致したそうな。そうでなくてさえ世を乱す悪者、用捨はいらない討って取りなされ!」
「心得てござる」と答えたのは、庭師の一人の銅兵衛《どうべえ》である。
「さあ方々」とその銅兵衛は味方の三人を見廻したが、「一度に抜き連れ、叩っ切りましょうぞ!」
 声に応じて四本の大刀[#「大刀」はママ]がキラキラと松火に反射した。四人腰の物を抜いたのである。
 庭師の扮装はしているが、決して尋常な庭師ではなく、いずれも名ある武夫《もののふ》が何か世を忍ぶ理由《わけ》があって、そんな姿にやつしているのであろう。構え込んだ態度に隙がなく、素晴らしい手練を示している。
 だが人買の連中には、どうやらそんなことは解《わか》らないらしい。民弥の後を追っかけて、十人余り走って来たが、「これ汝《おのれ》ら何者だ、娘を返せ、さあ渡せ!」呶鳴ったは親方の桐兵衛である。
 嘲笑ったは銅兵衛で、「黙れ! 鼠賊! 何を云うか! 民弥殿は我らが守護いたす、金輪際《こんりんざい》汝らに渡すことではない、取りたくば腕ずくで取って見ろ! 見れば人買、浮世の毒虫! 根絶やししてくれよう、観念しろ」
 ヌッと踏み出した気塊というものは、凄じい迄に高かった。
 ギョッとはしたが人買の桐兵衛、こいつも甲斐撫での悪党ではなかった。後へ退がると引き抜いた。「やあ手前達邪魔が入った、邪魔な奴から退治《やっ》つけて、民弥をこっちへ取り返せ! 多少の腕はあるらしいが、人数は四人だ、知れたものだ、おっ取り囲んで鏖殺《みなごろし》にしろ!」
 手下に向かって声をかけた。
「云うにゃ及ぶだ」と人買共は一斉に抜き連れ飛びかかった。
「命知らずめ!」と一喝くれ、真っ先立って飛び込んで来た、人買の一人を大袈裟に、一刀にぶっ放した庭師の銅兵衛、「幾人でも来い、さあさあ来い! 一度にかかれ! さあさあかかれ!」
 血刀を揮って切込んだ。続いて三人が躍り込む。それを人買がおっ取り巻く。キラキラ! 太刀だ! 月光に映じ、十数本の太刀が閃めいたのである。悲鳴! つづいて仆れる音! 人買が切られて仆れたのであろう。
 むこうに一群、こっちに一群、庭師と人買とが切り合っている。バラバラと逃げる一群がある。それを追って行く一群もある。
 と、一方では猿若少年が、二三人の人買を相手にして、懐刀を縦横に揮っている。
「しめたぞしめたぞ味方が出た! 敗けっこはない敗けっこはない! さあさあこいつらめ鏖殺だ! まるかって[#「まるかって」に傍点]来い、まるかって[#「まるかって」に傍点]来い!」
 庭師の群が現われて、助太刀をすると見て取ったので、疲労《つかれ》も忘れ勇気も加わり、軽快敏捷に立ち廻るのである。
 月光が上から照らしている。地上に捨てられた松火が、焔を上げて照らしている。四辺《あたり》は荒野! 点々と木立! そういう中での乱闘である。
 と、その時意外の事件が、忽然勃発することになった。
 浮木の姥の傍に立って、乱闘を見ていた娘の民弥が、何と思ったか身を飜すと、町の方を目掛けて一散に、野草を蹴散らして走り出したのである。
 一体どうしたというのだろう? 乱闘に驚いて逃げたのであろうか? それとも何かそれ以外に、逃げて行かなければならないような、大事な理由があるのだろうか?
 大事な理由《わけ》があったのである。
「山から下って来た庭師風の人達、南蛮寺の謎を解こうとして、妾《わたし》を尋ねて来たという、ではやっぱり敵なのだ。うかうかしてはいられない。危難を救われた恩はあるが、いつ迄も縋っていようものなら、難題を出されないものでもない。逃げよう逃げよう逃げて行こう!」
 で、民弥は逃げ出したのである。
 仰天したのは浮木の姥で、「民弥殿、民弥殿、逃げてはいけない。何も恐ろしいことはない。戦いは我らの勝でござる。そうして我らは悪者ではござらぬ。お帰りなされ、お帰りなされ」――で後を追っかけた。
 何で民弥が帰るものか。民弥は懸命に走って行く。
 木間を潜《くぐ》り、坂道を転《まろ》び、月光を蹴散らし、町へ町へ! 町の方へと走って行く。
 しかし民弥は逃げられなかった。
 行手に盛り上った森があり、そこの前まで駈けて行った時、五六十人の同勢に、グルグルと取り囲まれてしまったのである。




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