国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(29) (なんばんひわもりうこんまる)

国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(29)

29

 が再びそれが現われた時には、南蛮寺の前に立っていた。
 ところが茨組の一党の後から、ひそかに歩いて来た少年があった。他ならぬ猿若である。その猿若は小北山における、例の乱闘の場《にわ》から遁れ、京都の町へ入り込んだが、民弥のことが気にかかってならない。で、その消息を知ろうとして、この時洛中を歩いていたのであったが、見れば異様な野武士たちの中に、民弥が捕らえられているではないか。これは大変と思いながら、民弥の安否を見届けようと、その後からつけて来たのであった。
「これが有名な南蛮寺か」
「いや立派な伽藍ではある」
「作《つくり》も随分変わっているなあ」
「莫大な費用がかかっているらしい」
 賊どもは互いに呟いている。
 蒼白くひろがった月光の中に、尖塔を持ち円家根《まるやね》を持ち、矗々《すくすく》と聳えている南蛮寺の姿は、異国的であって神々しい。
 夜が相当深いので、往来を通る人もなく、夜警にたずさわる検断所の武士も、他の方面でも巡っているのであろう。ここら辺りには見えなかった。
「噂によれば南蛮寺には、大変もない値打ちのあるものが、貯えられているということだが、どうぞして内《なか》へ忍び込み、そいつをこっちへ奪いたいものだ」
 こう考えたは一党の頭、すなわち星影左門であったが、手下の者を見廻した。
「誰でもよいから囲《かこい》を乗り越し、内の様子を探って来い」
 つまり命令を下したのである。
 いつもは我武紗羅《がむしゃら》で命知らずで、どんな処へでも出かけて行く――そういう手下ではあったけれど、今度ばかりはどうしたものか、左門の云い付けを聞こうともしない。顔を見合わせて黙っている。
 それには理由があるのである。
 始めて眼にした南蛮寺、構造《つくり》がまるで異っている。うかうか内へ入った処で、内の様子を探ることが、覚束ないように思われる。それに第二に何と云っても、神々しい宗教的建物である。じっ[#「じっ」に傍点]と見ていると敬虔の念が、自然と心に湧くのである。
 で、どうにも入り込みにくい。
 で、一同黙っている。
「ふん」と云ったのは星影左門で、改めて手下を見廻したが、「行くものがないのか、臆病な奴等だ。よしよしそれなら頼まない。この俺が自分で出かけて行こう」
 そこで鉄棒を小脇にかかえ、スルスルと門際へ歩み寄ったが、その星影左門さえ、結局寺内へは踏み入ることが出来ず、その上娘の民弥をさえ、捨ててしまわなければならないような、意外な事件にぶつかってしまった。
 と云うのは突然門の内から、かつて一度も聞いたことのない、微妙な不思議な音楽の音色が、さも荘厳に湧き起こり、続いて正面の門が開き、そこから数本の松火を持った、数人の男が現われたが、それに守られた一人の老人が、「民弥よ民弥よ、恐れるには及ばぬ、悩《なやみ》ある者は救われるであろう、悲しめる者は慰められるであろう」
 まずこう云ってから賊どもを見廻し、「ああ汝等も救われるであろう。改心をせよ、改心をせよ、一切悪事というものは、改心によって償われる、まず手はじめにすることは、捉えている娘を離すことだ、そうしてこっちへ手渡すがよい! そうして坐れ、土の上へ! そうして拝め、唯一なる神を!」
 こう云って威厳のある眼を以て、次々に賊共を睨んだので、賊共は等しく胆を潰し、民弥を放すと一同揃って、大地へひざまずいたからである。
 で、民弥は小走ったが、その老人の袖へ縋った。
「ああ貴郎《あなた》様はオルガンチノ[#「オルガンチノ」は底本では「オンガンチノ」]様!」
「民弥か、おいで、怖れることはない」
「はい有難うございます。どうぞお助け下さいまし」
 で、民弥とオルガンチノとは、門を潜《くぐ》って寺内へ入った。
 と、すぐにその後から、猿若少年が飛び込んだ。民弥を慕って飛び込んだのである。
 やがて門は内から閉ざされ、松火も隠れ音楽も消え、あたりは全く寂静《ひっそり》となった。
 だがもし誰か民弥達と一緒に、南蛮寺の寺内へ入って行ったなら、その寺内の一室から、民弥とそうしてオルガンチノとが、次のように話していることを、耳にすることが出来たろう。
「おお、まアそれではお父様が!」
「見られる通りの有様でござる」
「お父様! お父様! お父様!」
「静かになされ、静かになされ!」と。……




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