国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(30) (なんばんひわもりうこんまる)

国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(30)

30

 処女造庭境とは何物であろう?
 衣笠山から小北山、鷹ヶ峰から釈迦谷山、瓜生山から白妙山、その方面の山林地帯へ、種々様々の迷路を設け、またいろいろの防禦物を作り、都の人間を入れないように、造を構えた地域であって、特に男性を入れないようにしたのと、それを作った頭なるものが、美しい処女であったのとで、処女造庭境というような、物々しい名をつけたまでで、特別の境地ではなかったのである。つまり自然を利用した、一個の広い砦なのであった。
 その頭は何という女か? 唐姫《からひめ》という女である。その唐姫とは何物であるか? 織田信長に滅ぼされたところの、某《なにがし》大名の息女なのである。で、父の仇を討とうがため、すなわち信長を討とうがため、都近くのそんな所へ、そのような自然的砦を設け、旧《もと》の家臣を庭師風に仕立て、一緒に住んで虎視眈々、様子を窺っていたのである。
 で、ここは処女造庭境の神明づくりの社の前である。
 二人の男女が縛られて、大地の上に据えられている。
 猪右衛門《ししえもん》とそうして玄女《げんじょ》である。
 森右近丸《もりうこんまる》に追いかけられ、処女造庭境まで逃げて来て、処女造庭境の人達に、捉えられて縛られてしまったのである。
 ところで今はいつかというに、民弥が南蛮寺へ入り込んだ、そのおんなじ夜なのである。
「いつ迄縛って置くのだろう。どうにもこうにもやりきれないなあ」こう云ったのは猪右衛門。
「ほんとにほんとにどうする気だろう」こう云ったのは玄女である。
「とうとう人形も取られてしまった」
「犬さんが骨を折りまして、鷹さんに取られたというものさ」
「取った鷹さんはよかろうが、取られた犬さんはつまらない」
「その犬さんが私達さ」
「酷《ひど》い目にこそ逢いにけり」
「もっと酷い目に逢うかもしれない」
「もうこれ以上は御免だよ」
「どだいお前が悪いのだよ」玄女が猪右衛門をやっつけた。
「ううんお前がよくないのさ」
「ナーニお前がよくないのさ、と云うのは道草を食っていたからさ、人形を盗んだら大急ぎで、飛び帰ってくればよかったのに」
「と云うことが云えるなら、俺の方にだって云分《いいぶん》はある。人形はお前へ渡したはずだ、あの時サッサと逃げ帰ったら、こんな不態《ぶざま》には逢わなかったはずだ」
「何だか知らないがお前が悪い!」
「何だか知らないがお前が悪い!」
「いいえさ、お前だ!」
「何のお前だ!」
 人間が逆境に落ち込むと、仲好し迄が喧嘩をする。例えに洩れずというのでもあろう、玄女と猪右衛門とは争い出した。
 やがて二人は掴み合いをはじめ、互いに咽喉を締め合った。そうして二人ながら死んでしまった。
 ところがこの頃社務所の中の、燈火《ともしび》の明るい部屋の一つで、三人の男女が話し合っていた。
 唐姫と右近丸と浮木である。
「……と云うわけでございまして、民弥殿を目付けはしましたが、惜しいところで茨組共に、奪い去られましてございます。使命をお果しすることが出来ず、何とも申しわけござりませぬが、事情が事情ゆえ特別を以て、何卒お許し下さいますよう。……それはそれとして民弥殿は、お可哀そうにも茨組共に、連れて行かれたのでございます。ところで茨組と来た日には、ご存知の通りのあばれもの[#「あばれもの」に傍点]。で、民弥殿のお身の上、心元のう存ぜられます。と云ってはたして茨組共は、どこに根城を構えていて、どこへ民弥殿を連れて行ったものやら、これさえ今のところ一向わからず、いよいよ心元のうございます」
 こう云ったのは浮木である。
 民弥を探して探しそこなった、その事情を話しているのである。
「困ったことになりましたねえ」
 こう云ったのは唐姫で、チラリと右近丸の顔を見た。
 右近丸は黙ってうつ向いている。その顔色は蒼白い。頬が痙攣を起こしている。感動をしている証拠である。民弥が賊に奪われたと、そう聞いたので心配し、それが痙攣を起こしたのであろう。
 部屋の中は清らかである、だがたくさんの武器がある。鉄砲、刀、槍、弓矢、……紙燭《ししょく》の光に照らされて、その一所はキラキラと輝き、一所は陰影《かげ》をつけている。
 三人しばらくは無言であった。
 で、部屋の中は静かであった。




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